my best
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2007年はグラウンディングの年と年初に言って予感実行、今ここに到着しました。今年はたくさん旅をしました。ひとり旅もしました。西に向かう旅が多かったです。私の旅の定義は、行って帰ってくること。会いに行くのが旅だと思っています。旅のたび送り出し見守り迎えてくれたあなたの存在に深く感謝します。
今年は新たに2つ職を得ました。天職願望はずっとあったけれど、元旦の時点ではその萌芽さえ全く見当たらなかった職業(以前の私なら憧れもしないし決してつかなかったであろう職・役割)への道が青天の霹靂のように目前に閃き現れ、七転び七起きくらいしていたら、その道を何とか歩けている自分に気づきました。ほんと人生どうなるか生きてみないとわかりません。
そして何より特筆すべき追伸は、真夏に枯れた(枯らしてしまった)シクラメンが9月の新月に蘇り、このクリスマスには花を咲かせました。ピンクの蕾もハートの葉っぱもたくさん元気に育っています。2年越しのシクラメン、命は続いていたんですね。
2007年、好きですか。2007年、私は好きです。
last two days いとおしい
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最近の大のお気に入りはホッピー。前々からホッピーという名前は気になっていたものの、果たしてこれはお酒なのかビールもどきなのか、ジュースなのかはたまた全くの炭酸? 実態がよくわからず手が出せないでいました。飲む気になったのは酒場放浪記の吉田類さんのおかげです(この番組というか吉田類さんいいですね。BSで大体毎日夜7時半からやってます。ちょうど私の飲み頃タイム)。ホッピー。飲む流儀はいろいろで、氷は入れないとか焼酎は冷やしておくとか、かき混ぜないとか注ぎ方の順とか、焼酎との黄金比もあるようで、でもまあ飲む人好き好きでいいではないの。私は焼酎に冷やしたホッピーを1対3の割合で注いで飲んでます。何物にも似ていない独自な味。ホッピーハッピー、その響く心地がいいではありませんか。年末年始、一日一本ホッピーな予感。
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友に誘われて「ルミネtheよしもと 1じ3じ」へ行ってきました。麒麟とオリラジが出るからねって事前情報で言われて、きりんもおりらじも見たことも聞いたこともなかったけれど、オリラジってオリエンタルラジオの略だよとさらに言われて、それってオレンジ何とか?と区別がつかなかったけれど、未知との遭遇、何かを求めて行ってみた。ライブが始まってみれば2時間半ずっと頬と口角上げて笑いっぱなし時々ガハハとばか笑い。登場芸人さんは、とろサーモン/ペナルティ / ダイノジ /友近 / 西川のりお・上方よしお /麒麟 /オリエンタルラジオ。私にはペナルティが一番大受けでした。私の大好きなあずさ2号も熱唱してくれたし。唯一知っていた西川のりお・上方よしおには安心して笑いを委ねられるベテランの味がありました。行くともれなくオロナミンC1本ついてます。途中の休憩でぐいっと飲んだオロシーの美味しかったこと美味しかったこと。後半の吉本新喜劇も素直に面白かった(船場太郎、山田スミ子はいなかったけれど)。無心で笑うっていいよね。笑いはエネルギー。笑うと脱力できて新たな力が湧いてきました。必要なギフトだったんだなあ。タイムリーな笑いを、どうもありがとう。
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通勤はバス。バス通は高校以来の久々久しぶり。~ギュウギュウづめのバスのなか~郁恵ちゃんの「バス通学」を思い出す。幸い私は大抵座れますけど、座れなくても幸せと思いたい。私のかわりに誰かが座っているのだから。それにしてもバスは時間が読めません。バス通で私が学んだのは、来る時は来るし来ない時は来ない!二台三台続けて来ることもある!待つとはそういうことなんだなと。きょうも元気で行ってきます。
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今日はハートの矢印♡射手座の新月です。太陽も射手座。見定めてその方向に進路をとります。現在火星は蟹座で順調に逆行快走中。さらに冬至も近づき過去に再会決別きわまる日々が続きます。この前、淀川長治さんが「さよなら、さらなら、さよなら」の意味について語っていました。さよならと言うのは何かあってのさよならなんだと。ほんと何もないとさよならとは言えませんよね。ほんとのさよならさよならさよなら。そして追伸。とくに最近明けの明星が美しい。月と金星が仲よく並んで夜が朝へと明けていきます。多分私は金星の生まれ。ではまた会おうね、さよならさよならといって旅立って来たんだと思います。
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私もかなりいい年長いこと生きてきたので、自分の適性については十分認識し、それに合った生き方、働き方をしてきました。それが世のためであり私のためでもあるとかたく信じて。でも最近の流れのなかで思うんです。適性なしと判断された(した)先の先の越えたところに私の真の適性があるのではないかと。無謀かな。しかし確かに微かな光はほのみえるんです。越えてみようではありませんか。世のため私のために。
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共働きだったので(夜勤も泊まりも日勤もある仕事)、母はもう一人子供が欲しいと思いながらも兄ちゃん一人で諦めていたのだが、ばあちゃん(母からすれば義母)が「もうひとり産んでもいいよ。私が育ててあげるから」と言ってくれたので私を産む気になったようだ。その一言があったから私が生まれたかどうかは断言できないけれど、その一言がなければ今の私はいなかったのではないか。いたとしてももう少し別の私としてこの世に存在していたのではないか。ばあちゃん、ありがと。
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