五月の空と
会わないと決めて
美容院へ行き
行かないと決めて
爪を塗る
私の心と
五月の空と
晴れ時々
いつも思っていた
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思えば夏みかんの季節。夏蜜柑、甘夏柑と種類も呼び方もいろいろだけど、母と私は「だいだい」と呼んでいる。風薫る五月、里からだいだいが送られてきた。
みかんの里生まれの私も、だいだいをむくのは難儀する。(過保護だったので小さい頃は母にむいてもらっていた。さらに苦酸っぱいのが子供には苦手と見えたのか、炭酸砂糖漬もつくってくれた。)
しかし最近「ムッキーちゃん」なるものを手に入れてからは外の厚皮も内の薄皮も楽々むけて、むくのがとても楽しい。人の分まで率先してむいてあげるほどよ。
だいだいは実がほどよくサクサクプチプチしかもジューシー。このほろ苦甘酸っさは、来るべき夏を先取りして食べている感じ。大人になってこそ美味しいとわかる味だと思う。だいだいは部屋に置いておくだけでも放つ色と香りで元気が出てくる。
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朗読の勉強会で『あらしのよるに』を分かち読みした。私は地の文を担当。子供に聞かせるような感じでと先生から言われたので、私は自分のなかのメイとガブに読み聞かせるように読んだ。『あらしのよるに』、あらすじは何となく聞いて知っていたけど、私は今回初めて読んだ。
メイはヤギでガブはオオカミ。ある嵐の夜に真っ暗な小屋の中で出会う。互いの姿は見えない。鼻風邪をひいていて互いの匂いもわからない。わかるのは互いの声だけ。どこに住んでいるかとか、どんな子供時代を過ごしてきたかと話すうちに、「なんか、わたしたちって似てますね」と、フィーリングカップル1対1のようなシンパシーを感じ合う。と同時に私たちはヤギとオオカミなのかもしれない、という危ういテレパシーも送り合う。
やがて嵐がやんで、メイとガブは明日再びこの小屋の前で会う約束をして別れる。互いの顔もわからぬままに。合言葉は「あらしのよるに」。
勉強会で読んだのは、ここまでだったが、この絵本はまだまだ続く。出会ってはいけない二人が出会うべくして出会ってしまった、あらしのよるに。やっぱりこれは禁断の愛の物語なのだろうか。あるいはツインソウル物語。
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エリオット・アーウィット写真展「パーソナルベスト パーソナルチョイス」(5月3日inシャネル銀座)を見てきた。ほとんど予備知識なしで行ったので、彼の写真とまなざしが私の目と心にすっと入ってきた。白黒写真というのは実は明るいんだと感じた。写真が白黒であることに最初は気づかなかったほどだ。光と影が語り出す素晴らしい作品だった。
私がカメラを嫌うのは、人はカメラを持つと途端にman with cameraのカメラマンとなり、その人がプラスマイナスされ、結果その人イコールではなくなってしまうからだ。私が好きな写真は、カメラを持ってもほとんどその人イコールな人が撮った写真。そうそういないがアーウィット氏はそういう人なのではないかと、彼の写真を見ながら思った。
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