14歳の自叙伝
ひなまつりいかがお過ごしでしたか。おひなさま。ことしもふるさとの押し入れのなかで私を待ってくれていたのかな。ごめんね。ことしも気持ちで飾りました。
昨年帰省して帰京する折、実家から持ち帰ったものが3つあります。1つは私の14歳の自叙伝です。ずっと押し入れの奥に入れたままだったけれど、今さらながら封印を解いて読みたくなったのです。
中学2年の3学期、国語の先生の提案で自叙伝を書こうということになりました。昔の元服に倣って14の春を記念して。原稿用紙51枚の大作です。表紙の絵も自分で描いてます。14歳でもいっぱしの過去や歴史があったんだと、遥かなる時を経た今、読み返して驚きです。
子供の頃、私はよく人から暗いと言われて自分でも暗いと思っていましたが、当時の文章を読むとシンプル&ポジティブシンキング。悩みがありつつも迷ってなくて、キッパリはきはきしています。私は案外明るかったのかも。過ぎてみてわかること振り返ってわかること。今の私も案外明るいのかも。過去の自分に教わることは大きいです。
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コメント
こんにちは。
14歳の自叙伝って、すごいですね。
中学生のときに51枚もの原稿用紙を文字で埋めるというのは、いくら授業であっても文章を書くのが好きな人でなくてはできないと思いました。
私は14歳くらいのとき何か記念に残るようなことをしたかな・・と考えていたら、一つ思い出しました。
一つ思い出したけれど、ここに書くと長くなるので今度自分のブログに書こうと思います。
14歳のときのchiikoさんも素晴らしいけれど、それからン十年経っている(失礼)今のchiikoさんは、今更いうまでもなく、当然、確実に、もっともっと素晴らしいですね。
それでは、また(^.^)/~~~
投稿: ケララ | 2006.03.04 16:28
そんでもって、トラックバックをお送りさせていただきました。
よろしくお願いいたします。
投稿: ケララ | 2006.03.04 17:54
ケララさん、おはようございます!
51枚のプチ大作、すごいでしょ。
多分みんな50枚ぐらい書いたと記憶してます。
もしかしたら最低枚数50枚とのことだったのかも。
みんなの自叙伝は書いたあと、しばらく図書館に置かれていました。
親にも読んでもらいました。
だから、読まれることが前提の自叙伝。
ある意味chiiko通信の原点です。
それにしても文章って年齢が出ますね。
14歳の文章は、とってもとっても若いです。
ケララさんも14歳の思い出、書いたのですね。
トラックバックどうもありがとうございます。
きょうもよい一日を。ではまたね!
投稿: chiiko(ケララさんへ) | 2006.03.05 06:11
chiikoさん、こんにちは。
14歳の自叙伝、すごくいいですね。
14歳の私は・・・一言で言うと「反抗」って
感じでしたね。ケララさんじゃないけど、
私も自分のブログに、近いうちUPしたいなーと思いました。
14歳という年齢がまたいいですよね。
12歳だと幼すぎるし、16歳になってしまうと
もっともっと現実が見えてきてしまう(と
私は勝手に解釈してますが(^^ゞ)ような。
ドラえもんのタイムマシーンに乗って
14才の自分に書かせてみたいものです。
今日は肌寒いですね。
昨日は暖かかったので、体調を崩されませんように。
ではまた♪
投稿: あつべえ | 2006.03.07 13:27
あつべえさん、こんにちは!
14歳といえば、思春期真っただ中ですよね。
私も相当、反抗期でしたよ。
でも、今思えば、反抗も懐かしいです。
今の私に反抗する力はあるだろうかと思うと。
14歳の思い出、書いてみてくださいね。
私への心遣い、どうもありがとうございます。
あつべえさんもどうかご自愛くださいませ。
ではまた♡
投稿: chiiko(あつべえさんへ) | 2006.03.07 16:51
chiikoさん,こんにちは。
子供のころの自叙伝ですか。記憶に間違いなければ,小学6年のときに書かされたように思います。親から昔のことを聞いて,「今あるきれいな国立病院ではなく,お城の近くの六連隊のあとにあった木造の国立病院で生まれたそうです。」なんて,書いていた気がします。
14歳ですか。中学1年の「初恋の人」とクラスが変わったら,別の男の子からネックレスをもらって,付けていたのを先生に見つかったと聞いた。同級生の人と1年下の人と,2人からマフラーをもらい,申し訳なくていつも2つ使っていた。・・・
「春は曙 ようよう白くなりゆく山際 少しあかりて 紫立ちたる雲の 細くたなびきたる」でしたか。那須野が原の風も,少しずつ春めいてきました。
投稿: なも | 2006.03.11 06:03
なもさん、おはようございます!
14歳の自叙伝を書く前準備として、まずは母に私に関する記録や思い出を年代別に書いてもらいました。自叙伝の巻末には、その母の手書きの文章が添えられていて、今となってはそれが一番のとっても大切な宝物です。
なもさんは小六で書きましたか。私も書かされたという感じです。でも、あのとき書いてよかったなと今は思います。
なもさん、淡い恋多き若き日々だったのですね。
ああ、春ですね。きょうの朝焼けきれいでしたよ。
よい週末をお過ごしください。ではまた!
投稿: chiiko(なもさんへ) | 2006.03.11 06:50
ご無沙汰しております。
自分の過去というのは、覚えているようで、
案外覚えていないものです。
そういう意味で日記などは、自分の成長過程を知る上で、とても大切なものだと思います。
親をはじめとする他者との関係の大切さ。
過去の自分があり、今の自分があるという認識は、自分の生きてきた道を肯定するとても重要な心の動きだと思います。
私も最近まで、自分の生き方を否定してきましたが、過去のことを思い出し考え、やっとこの年になって、自分が解ったような気がします。すると雲が晴れたように、生きることが肯定できるようになりました。
私がブログを書き始めたのも、今までつけたことのなかった日記として残したいという思いもあります。
14歳の自叙伝、大事にしてくださいね。
投稿: 森の音 | 2006.03.16 21:26
森の音さん、おはようございます!
私たちは関係性のなかで生きているんですよね。
私も今頃になってようやくそのことに気づいて、
心で理解して、納得して、感謝するようになりました。
私もブログを始めるまで日記を書く習慣はありませんでした。
ブログを書くようになって本当によかったなと思います。
14歳の自叙伝、大事にいたします。
どうもありがとうございます。
きょうもよい一日を。ではまた!
投稿: chiiko(森の音さんへ) | 2006.03.17 05:47