『最後の地球人』
私も選挙に行きました。投票所は徒歩5分のところにある中学校。いつもは固く閉ざされている校門もこの日は開放されています。校内に入れるのが選挙の時のささやかな楽しみです。投票を済ませた後は、せっかくの機会なので、運動場を突っきってゆっくりと反対側の入り口まで歩き、すこし遠回りして家まで帰りました。
思うに、もし私に子供がいれば、この中学校はわが子の学び舎で、投票所へのこの道はわが子の行き帰りの道になっていたはず。人生にイフはないというけれど。いくつかのイフの視点を持つのは、何事においても必要なことだと思います。
星新一氏の自選短編集『ボッコちゃん』のさいごは『最後の地球人』というショート・ショート。地球の人口は増えつづけ、あるとき人類は完全に地上にみちあふれ、どうにもこうにもならなくなり、人々は心の底で「もうたくさんだ、助けてくれ……」と声をあげ、全人類ははじめて同じ反省と祈りを持つに至ります。やがて人口の増加は止まり、そして減りはじめ、ついには最後の地球人ひとりになってしまいます。
種はつねに全体最適を求めていくものなのでしょう。最後の地球人が生まれて最初に発した言葉は「光あれ」。やはりはじめにあるのは、言葉と光。私はこの小説のラストに、人間の知恵と神様のはからい、希望の光を感じます。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
こんにちは。
人間っちゅう存在は、絶望のふちに立たないと反省と祈りを持たないのかもしれません。
おろかな存在ですね。
でも、逆に考えると、絶望のふちに立ちさえすれば反省と祈りを持ち、ひとっ飛びに成長できる存在なんですよね。
だから人間はすごい・・・と、今日、どこかのHPで読んだような気がしました。
目の前に良くないものが立ちはだかっているように見えても、その向こうにはステキなことが待っているに違いない・・・つねにそんな希望を持てるようになりたいです。
それでは、また(^^ゞ
投稿: ケララ | 2005.09.12 16:29
ケララさん、こんばんは!
絶望のふち。それっていわゆる絶体絶命のギリギリのピンチですよね。
そこに立ちさえすればいい。ひとっ飛びに成長できる存在なんですね。
人間ってほんとうにすごいです。
飛ばなくても、ひとっ飛びできるのでしょうか。
教えてくれてどうもありがとう。
そのどこかのHPってすごいですね。
つねに心に希望の光を持っていたいです。
どうもありがとうございます。ではまた!
投稿: chiiko(ケララさんへ) | 2005.09.12 19:53
chiikoさん、おはようございます。
わたくしのブログ転居先へ来てくださりありがとう。
わたしは、いま朝夕に犬の散歩をさせていて、そのときこっそり小学校のグランドを通ることがあります。「犬の連れ込み禁止」とありますが、夜で誰もいないし、糞もさせないように気をつけているので、グランドを通ったりします。
犬ものびのびと走られる場所がないから、少しの時間ぐらい広いところで走らせてやりたいと思うからです。
わたしの住む田舎町でも学校側の敷居が高くなっているから、東京のような都会はことさらでしょうね。学校の安全性を高めなければならなくなっていることは間違いないと思っていますが、過剰な防衛策は子どもら自身を不幸にするでしょうね。
あーーーっ、きょうは涼しい。ゆうべはよく眠れました。
投稿: ひかりごけ | 2005.09.16 07:10
ひかりごけさん、こんにちは!
小学校の校内でのお散歩、ひかりごけさんも犬も気持ちよいでしょうね。広くて何もない場所というのは貴重です。朝夕の学校は子供たちがいなくて、しーんとして、ちょっと寂しい感じもしますね。学校はほんと敷居が高くなり、近くてとても遠いところになってしまいました。
きょうは東京も涼しげな風が吹いています。よく眠れてよかったですね。私はきれいな月に見とれて、ちょっと夜更かししていました。だんだん秋も深まっていきますね。
訪問&コメントどうもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。ではまた!
投稿: chiiko(ひかりごけさんへ) | 2005.09.16 16:11