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2005.09.30

夢と心

「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない。」        ──村上春樹氏『風の歌を聴け』より──

自分は大丈夫なのか、大丈夫でないのか、
自分の心は大丈夫なのか、大丈夫でないのか、
それは日々私がなんとなく思っていて、
日々なんとなく自分に問うていること。
夢、見ましたか。夢、見ましたよ。
だからきょうも私は大丈夫、と思う。

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2005.09.29

かくしだま

あなたのかくしだまは何ですか
知りたくて知りたくて
近づいてみたら
なにもなかった
何をおそれていたのだろう
何にみせられていたのだろう
不信と好奇のゲームはもうやめて
真実の物語をはじめませんか

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2005.09.28

ビール工場

森を出たところにビール工場行きのバスがとまっていたので、そのままするすると流れに乗ってサントリー武蔵野ビール工場へ。

ビールの92%は水。サントリーはその水にこだわって100%天然水を使っているとのこと。サントリーといえばモルツ。モルツには、赤城山水系、丹沢水系、天王山・京都西山水系、南阿蘇・外輪山水系と4つのモルツがあるそうです。最後の試飲タイムでは、モルツとプレミアムモルツをグラスで2杯、さらには4つのモルツの飲み比べもさせていただきました。ただより高いものはないというけれど、つかのま至福の時を過ごしました。流れには乗ってみるものです。

ビール工場といえばユーミンの「中央フリー・ウェイ」。「初めて会った頃は毎日ドライブしてたのに このごろはちょっと冷たいね 送りもせずに」というところが、やさしい秋風ぽくていい感じ。

工場見学でさらに思い出すのが、村上春樹さん&安西水丸さんの『日出(いず)る国の工場』。工場というのはオープンなようで、なかなか開かない秘密の扉もあって、嗚呼、人の心みたいだと思います。

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2005.09.27

あつあつほわほわ

あつあつね
ほわほわね
見ているだけでは
つまらないよ
そこのあなたに
ここのわたし

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2005.09.26

美しい精神

森のなかにある詩人村野四郎記念館へも行きました。復元された尋常高等小学校の一角にあります。村野さんのことを私はよく知りませんでした。「ぶんぶんぶん」の作詞者でもあったとは。『体操詩集』を読んでみたくなりました。

「精神のために詩を 肉体のために実業を」という村野さんの言葉に強く心惹かれました。村野さんはサラリーマンと詩人、二足のわらじ人生を歩んだそうです。「両立」という言葉が私の心に浮かびました。詩と実業は村野さんのなかで欠くべかざる大切なもので、両立してこその人生であり詩であったのだろうな、と感じました。

ラッセル・クロウの映画「ビューティフル・マインド」をふと思い出しました。謎な映画です。どこまでが現実でどこまでが幻なのか。見る人もその人自身も定かではない映画。私は何よりタイトルが謎でした。なぜビューティフル・マインドなのだろう。なぜマインドなのだろうかと。村野さんの言葉とリンクして少し謎が解けたような気がしています。

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2005.09.25

府中市郷土の森博物館

yubinkyokucosmosgakko



府中市郷土の森博物館へ行ってきました。広くて大きな森のなかに町役場や郵便局、学校、水車など昔の建物がさりげなく点在していました。森全体が博物館。緑とやすらぎに満ちた空間でした。コスモスも咲いていました。ツクツクボウシも鳴いていました。お弁当持参でのんびり過ごすといいと思います。私はやすらぎ亭で天下一ラーメンを食べました。シンプルなしょう油味でおいしかったです。博物館を出た後は流れに乗ってビール工場へ行くことに。この話はまたいつか。

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2005.09.24

おでこ

最近、前髪を上げて、おでこを出しています。女性には、おでこを出す人と出さない人がいる、と聞いたことがあります。あるいはどの女性にも、いつか前髪を上げて、おでこを出す日が来る、と聞いたことも。

どちらがほんとうなのだろう。おそらく2つは同じことを言っているように思います。

それで私はどうなのか。たぶん私は一生おでこを出さないだろうな。いや、いつかおでこを出す日が来るかもしれない、来てほしい。2つのあいまいな予感を持ってこれまで私は生きてきました。

前髪をおろして、おでこを出さない理由はいくつかあります。私のおでこは広くて丸顔、さらには産毛がまだ生えそろっていない、という見た目の理由。しかし今思うに何より一番の理由は、隠れていたい、隠していたい、という気持ちのあらわれだったのではないかしら。

前髪を上げて、おでこを出す時が私にもいよいよ来たのでしょうか。単なる一時の気まぐれにすぎないかもしれませんが。

おでこを出すと気持ちいいです。視界良好。光がダイレクトに当たります。さらされて、照らされて、何かが開いていく感じがしています。

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2005.09.23

借り物競走

借り物でいい 本物であれば
右往左往して 探し求めればいい
みずから助ける人を人々は助ける
見つけたら 一途に目指せ
ゴールはひとつ 本物のゴール

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観念します

隠しても隠しきれない
みんな気づきはじめている
あなたのオリジナル
わたしのオリジナル

隠すにもほどがある
もういいでしょうと
時の呼び声

喜んで観念します
現れ出ます

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2005.09.22

メインテーマはどうしたって好き

どうしたって好き どうしようもなく好き
どうかなってしまいそうなほど好き

どうかなってしまうとどうなるのだろう

どうかなってしまってもどうにもならなくて
どうにかなるのが愛なのか

いまだに愛ってよくわからないけど
傷ついてばかりではもういられない

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2005.09.21

素直な月よ

きのうの月はきれいでした
素直な月でした
素直なこころ 素直なきもち 素直なすき
素直っていいなと思います
あるとき転校生がやってきて
まっさらな目で私を見てくれました
素直なすきってどういうことか
教えてくれました
素直なすきってどういうことか
今の私は忘れかけていたけれど
素直な月を見ていたら
思い出すことができました
教えてくれてありがとう
素直な月よ
あなたに会えてよかったです

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2005.09.20

「俺たちに明日はない」

俺たちに明日はない
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ボニー&クライド、刹那に生きた二人の愛の物語。フェイ・ダナウェイとウォーレン・ベイティがすばらしくカッコいいです。刹那的に生きるのは、せつな楽しくせつな哀しい。破滅的な最期があることはわかっていても、どうしようもなく惹かれてのめり込んで観てしまう映画です。二人は社会に抗って生きたのか流されて生きたのか。それは誰にもわからない。二人にもわからない。わからなくても人は生きている限り生きていかなければならないし、生きていていいのだと思います。

さいごのさいご銃が発射されるまでの一瞬、二人は目と目を合わせます。あの刹那、二人は永遠に強く深く結びついたのだと私は思います。とても悲しいけれど、心に残る一番好きな場面です。

同じくらい好きなのはその前日の場面。二人は白いワンピースと白い服を着て、白い車に乗ってピクニックに行きます。一点の曇りもない青空のもと、ボニーとクライドは本当の男と女になって明日への夢と希望を語り合います。とびきりの一日。俺たちに明日はない二人にも明日は確かにあったと思わせる場面です。

そしてラストのThe Endの文字。今を生きてのメッセージだと私は感じました。強く深く心に焼きつく映画です。

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2005.09.18

欠けない光

きょうは満月
群青の空に全き純な君
君 君 君 きみの光
このせつな欠けない光が
私のなかを駈けぬけている

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2005.09.17

国立西洋美術館ふたたび

国立西洋美術館で開催中の「ドレスデン国立美術館展-世界の鏡」へ行ってきました。金曜日の午後、館内は絵を見る人で満ちみちていましたが、招待券だったので、おとなしく流れに乗ってささっと見てまわりました。絵だけかと思っていたら地球儀や天球儀、コンパス、三角定規、日時計、集光鏡など美しい道具類、陶器、工芸品も展示されていて、これは人類の愛と英知の結集展なのだと感激しました。

フェルメールの「窓辺で手紙を読む若い女」はじっくり鑑賞しました。この絵には、さまざまな秘密とドラマが隠され塗り込められているそうです。開け放たれた窓、窓ガラスに映る若い女性の顔、不自然な壁の空白、乱れたテーブル、緞帳のような分厚いカーテン。なかなか見通せない人間の心が、光と影で美しく表現された絵だと感じました。

常設展へも行きました。こちらはすきすきで、いつもの絵をゆっくり見て歩きました。前回常設展へ行ったのは今年1月16日、雨の寒い日でした。あの時も最後にモネの「睡蓮」に強く心惹かれましたが、今回もやはりそうでした。モネはこの絵を描いたとき、すでに20年近くも睡蓮を描きつづけていたそうです。私も20年も愛して書きつづければいつかモネの睡蓮のような言葉を書けるかもしれないと思いました。

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2005.09.16

どうかその手で

沈む心 自分で救う
日々救い 日々浮かぶ
私は何とか大丈夫だから
どうかその手で
早くご自分を救って
どうかこの手を強く握って

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浮かびあがってくるもの

書かずにはいられない
私はそうして
私の心をすくっている
浮かびあがってくるものの
一瞬を永遠にしたくて

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2005.09.15

秋の空

一日ずっと眺めているひと
一日一瞬じっと見つめるひと
今は一日一瞬のまなざしがいい
今は秋の空 自由に舞っている
気分はころころ変わります
本心はころころ変わりません

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2005.09.14

がんばっていきまっしょい

きのうの「がんばっていきまっしょい」は最終艇。この物語は父と娘の葛藤&愛情物語でもあると感じました。

悦子は卒業後の進路として東京の写真専門学校入学を決意しますが、父の同意を得られないまま、さいごの春休み、船に乗って故郷を離れる場面で終わります。見送りには来ないはずの父の姿を港に見つけたとき、悦子と父の心は強く通い合ったのだと思います。

港で自分を見送る人を船の中から見送る気持ち、私も何度か味わったことがあります。陸と人がどんどん遠ざかり小さくなり、それさえも涙でかすんで見えなくなるのです。

悦子と私の共通点の1つは事後承諾なところ。私も進路については親にほとんど相談なしで決めて結果報告、了承を求める娘でした。

私が高校を卒業したのははるか昔のこと。その後、同窓生とは次第に会わなくなっていきました。あの場所で一堂に会することはもうないでしょう。けれど今でも心に浮かぶみんなのことは、ひとりひとりが私の希望の光となっています。みんなどこかでがんばっている。私は今ここにいるよ。がんばっていきまっしょい。

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2005.09.13

ジェラシー

この夏
妬いて妬かれた
なのに妬かない人もいた
愛は惜しみなくここにある
ピクリと動いた眉は好きのあかしか
妬かないあなたにわたしジェラシー

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2005.09.12

『最後の地球人』

私も選挙に行きました。投票所は徒歩5分のところにある中学校。いつもは固く閉ざされている校門もこの日は開放されています。校内に入れるのが選挙の時のささやかな楽しみです。投票を済ませた後は、せっかくの機会なので、運動場を突っきってゆっくりと反対側の入り口まで歩き、すこし遠回りして家まで帰りました。

思うに、もし私に子供がいれば、この中学校はわが子の学び舎で、投票所へのこの道はわが子の行き帰りの道になっていたはず。人生にイフはないというけれど。いくつかのイフの視点を持つのは、何事においても必要なことだと思います。

星新一氏の自選短編集『ボッコちゃん』のさいごは『最後の地球人』というショート・ショート。地球の人口は増えつづけ、あるとき人類は完全に地上にみちあふれ、どうにもこうにもならなくなり、人々は心の底で「もうたくさんだ、助けてくれ……」と声をあげ、全人類ははじめて同じ反省と祈りを持つに至ります。やがて人口の増加は止まり、そして減りはじめ、ついには最後の地球人ひとりになってしまいます。

種はつねに全体最適を求めていくものなのでしょう。最後の地球人が生まれて最初に発した言葉は「光あれ」。やはりはじめにあるのは、言葉と光。私はこの小説のラストに、人間の知恵と神様のはからい、希望の光を感じます。

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2005.09.11

どこかの蝶々ふたたび

盛りあがれば盛りあがるほど
盛りさがる私
今日はどんな日
どこかの蝶々がぱたぱたとはためく日
盛りさがれば盛りさがるほど
舞い踊れ私

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相思相愛だもの

とんちんかんなことしてる
カッコつけたこと言ってる
何やってるの
カッコわるくて
いとおしいよ君
これもしようがない
相思相愛だもの
レベルは一緒だもの
いとおしいよ君

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2005.09.09

模様替え

きのう知った新事実。ニフティのココログデザインの新テンプレートに「ケロロ軍曹であります!」が加わってました。「ケロロ軍曹」もメジャーになってきたということでしょうか。改めてみると、かなりおちゃらけでタママでキュート。素の私のイメージにはぴったりなんですけど。

chiikoな私は、背景白地に真紅の帯という、このシンプルなブログデザインがワンパターンながら気に入っているので、これからもこのままいくと思いますが、時々は気分転換に変えてみるかもしれません。きょうもケロロ軍曹の放映の日ですね。最近ますます話の展開がわけわからなく深まってきて、ほとんど欠かさず毎週見てます。

9月は模様替えの季節。先日訪問したお宅のリビングのインテリアにヒントを得て、わが家も模様替えをしました。テーブルの位置を窓寄りにして、向きも45度変えてみました。ただそれだけのことなのに、窓から見える風景ががらりと変わりプチ・コペルニクス的転回。ひらめいたらそれが吉日。素直に即実行。あとは秋の深まりを待つばかり。

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2005.09.08

大風一過

大きな風が駆けぬけていった
ただやり過ごすしかなかった
大風一過の美しい夕焼けは
いま立ちどまり 見よのサイン
私は希望の光をそっと抱きしめる

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2005.09.07

気づかせること

きのうの「がんばっていきまっしょい」第九艇。女子ボート部は愛媛県大会で優勝し、全国大会への出場を勝ち取りますが、直後、悦子は激しい腰痛からドクターストップがかかり、退部を決意。うつろな帰宅部生となっていました。しかし家族や仲間、周りの人々に見守られ支えられ励まされ、大切なことに気づいていきます。

困難に直面したとき、自分は何もできないと嘆くより、今、何ができるかを考えて、自分ができることをしていこう。がんばりたくないときはがんばらなくてもいい。時には立ちどまるのもいい。けれど「好き」という自分の気持ちに後ろ向きにはなるまい。いつも前を向いて生きていこう。それが、がんばっていきまっしょい、なのだと。

「がんばっていきまっしょい」のメインテーマの1つはコーチングでもあるなと、ドラマを見ていて気づきました。私が思うに、コーチングとは「気づかせること」。相手を見て気づいたことを、その人に気づかせてあげること。あれをしろこれをしろと、ただ上から言って押しつけても真の気づきは生まれないし、人はみずから動こうとはしないものです。コーチングとは見ること、思いやることでもあると思います。

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2005.09.06

必要の連鎖

依存の連鎖はあると思うしありだと思う
それから一転
独立の連鎖もあると思うし大ありだと思う
それではこれはどちらの連鎖
なかなか見分けはつかないものよ
もとはひとつの輪のなかのつながり
必要として必要とされる必要の連鎖
つながっていたい つないでいきたい

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2005.09.05

まつわりついてくるものよ

振りほどいても
振りほどいても
まつわりついてくるものを
振りほどいたら
さびしくてさびしくて
私が私でいられない
これが本当の素の私
見つめてみる
受けとめてみる
まつわりついてくるものよ

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2005.09.04

乙女座宮

きょうは乙女座の新月です。太陽も乙女座でダブルで乙女座です。乙女チックでロマンチックな夢や希望を感じます。乙女座のキーワードは「I serve:私は仕える」。愛と奉仕の人。大切なものを大切に。大切な人を大切に。私への奉仕からすべては始まっていきます。

山口百恵さんの「乙女座宮」を思い出しました。山口百恵さんの歌の中でもやさしさの際立つ歌ですね。「山羊座に恋してさそり座ふって魚座に初恋 今は獅子座のあなたに夢中よ」。恋多き女も恋は一瞬一瞬真剣で、今愛する人はあなただけという思いが伝わってきます。

乙女座の新月。声に出して願う人、声には出さずに願う人、どちらの願いも天には届いているはず。みんなの願いが早く叶いますように。

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2005.09.03

キリンジ「47’45”」

47’45”
47’45”

夏の始めに突然嵐のように出会って、夏の間ずっと聴いていたのがキリンジ。夏もそろそろ終わりですが、今も聴いています。教えてくれたケララさん、いつもどうもありがとう。「耳をうずめて」が聴きたくて、「47’45”」をレンタルしました。「耳をうずめて」のワンフレーズ「僕らは音楽に愛されている」。これってつまりは愛の告白。愛されていると思えるほどに好きなものに出会えたら、ほんと心底幸せですよね。

初めて聴いたのに初めてとは思えない懐かしいメロディと言葉。初期のオフコースやチューリップに似ています。けれどそこには確固たるキリンジのオリジナルな世界があって、私も大ファンになりました。

キリンジは真剣なことを真剣に歌わないところが私は好き。頑張って好きにならなくても、好きなものはどうしたって好きなんだから、そのまま自然に好きでいていいんだよと思わせてくれるアルバムです。

とくに「Drive Me Crazy」「唐変木のためのガイダンス」「牡牛座ラプソディ」は私のための歌ではないかと思うほどで、キリンジの歌は脱力系コーチングの歌だと感じてます。このまま9月もDrive me crazy。

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とっととどっと

どっとつかれた どっとやすむよ
とっととおいで 僕のところへ
どっとおねむり そばにいるから

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2005.09.01

夏服と長月

きょうから9月。9月といえば竹内まりやさんの「September」。夏の終わりに悲しいのは、夏服をおおっぴらに着られなくなることです。

夏服で私が一番好きな服、上下麻のツーピースをすとんと着て、素足にサンダル履いてカッポカポと歩く、あの愉快爽快。夏は身軽なところがいいですよね。けれど夏はいってしまうのですね。明日晴れて暑ければ、この格好で今夏もう一日、愉快爽快に闊歩したいです。

私、昨年の9月最後の月を見て、「群青の夜空に白いお月さま九月の君にさよならを言う」こんな短歌を書いてます。今年は9月最後にどんなことを思うのか、自分でもまるで予測不能です。9月は長月いろいろなものが長くなっていきます。よいことがたくさんありますように。

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相思相愛

誰も私のことなんかわかっちゃいない
私も人のことなんかわかっちゃいない
あなた私のこと何もわかっちゃいない
私あなたのこと何もわかっちゃいない
これって完全無欠の相思相愛
そこから生まれる相思相愛

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