私を私たらしめているもの
田口ランディさんの『ハーモニーの幸せ』の中に精神科医の渡辺哲夫さんの次のような言葉が引用されていました。
「この世界を世界として成り立たせているものは歴史だ」
「田口さんを、田口さんという個性としてここに在ることを支えているのは、歴史なんです」
この箇所を読んで、私のなかですとんと腑に落ちた感じがしました。
そうか、私を私たらしめているのは、この私の歴史、記憶、思い出なんだ。私というきわめて現実感の乏しい人間にも、今まで生きてきた歴史と時間があって、出会った人々がいて、訪れた場所があって、それらがまるごとひとつになって私という存在の輪郭をつくり上げている。今、私がブログで記事や詩を書いているのも、記憶の保管庫にある私の歴史のおかげなんだと。深い感謝の念がわいてきました。
だったら生まれたばかりの赤ちゃんはどうだろう、とふと思いました。思い出もなければ記憶もない。ならばまだ人ではないのかしら。いやいや、赤ちゃんには思い出や記憶はないかわりに魂の歴史や記憶は大人に負けないほどある。だから正真正銘の人間なのだろうなと。
そして、先日行ったちひろ美術館では、彫刻家・佐藤忠良さんの次のような言葉に出会いました。
「子どもの顔というのは、履歴書などというほどの履歴を持たない、ただ可愛いというだけの難しさがある、逆にかえって難しいと思うんです。人生を耐えてきたような皺も骨格の歪みも何もない、純真な、純粋な顔をしている分だけ、下手をすると、甘ったるい砂糖菓子のような彫刻になりかねない、その難しさです。」
そういえば、子供の顔はあどけなく歴史がありません。けれど一日を生きて過ごすと、その一日が深く急速に思い出や記憶となって顔や心に溶けこみ刻まれていくのだろうなと、ちひろさんの絵と佐藤さんの彫刻を見ながら感じました。
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コメント
こんばんは。
>私を私たらしめているのは、この私の歴史
う~む、深い言葉です。
・・つうことは、私のことを少しでも「好き」といってくれる人がいるということは、私の歴史もまんざら捨てたものではないということですね。
いろいろな人に出会って、いい思いをしたこともあれば、傷ついたり傷つけたりしたこともあったけれど、それはすべて自分の歴史だから、いやなこともすべてありのままに受け入れるべきなんでしょうね。
思い出したくないほどいやなことも、好きといわれた自分を構成している貴重な歴史なんですものね・・。
ステキな気づきを、どうもありがとう(^^♪
投稿: ケララ | 2005.08.30 19:06
ケララさん、おはようございます!
ケララさんの歴史はケララさんそのものです。
「好きと言われた自分」とても深い言葉ですね。それは何がどうなろうと永遠ですよね。すべてありのままに受け入れるのはなかなか難しく辛くもありますが、そういうときには「好きと言われた自分」に立ち戻っていけばいいんだなと、ケララさんのコメントを読んで気づきました。ケララさん、どうもありがとうございます。これからもケララさんの歴史を聞かせてくださいね。
きょうもよい一日を。ではまた!
投稿: chiiko(ケララさんへ) | 2005.08.31 06:43