『がんばっていきまっしょい』
『がんばっていきまっしょい』(敷村良子・幻冬舎)を読みおえました。冒頭からトラウマスイッチ押されっぱなしの小説でしたが、さいごまでがんばって読んで、私のなかのトラウマの大玉小玉のいくつかが、美しい思い出の大玉小玉へと変わっていきました。
私と主人公の悦子。遠く離れたところにいる二人ですが、同じような感覚もどこか持って、あの日々を過ごしていたのだと感じました。それは部外者意識と、ゆるやかなつながりの意識。私は週一文化部の帰宅部生徒で、高校の3年間はとくに何をすることもなく、ただ何となく過ぎてゆき、学校や同級生に対していつも部外者意識を感じていました。けれど得たものは確かにあったと、いまならよくわかります。
友人もできたし恋もした。勉強は落ちこぼれてずっこけたけど、パスももらった、パスもした。あのパスがあったからいまの私がここにいる。「あなたは部外者ではなかったんだよ、ひとつ輪のなかにいたんだよ」と悦子さんに言ってもらった気がします。どうもありがとう。
とてもがんばっていきまっしょいなフレーズに出会ったので、ここに記しておきます。
「十六歳から十八歳までの約千日は、命が凝縮された眩しいほどの輝きを放つ、純粋で濃い時間なのだろう。その真ん中で右往左往している悦子には、なんでもない平凡な日々の繰り返しにしか思えない。いつかこの時間が過去という扉の向こう側に閉じ込められたとき、失ったものの素晴らしさに気がつくのかもしれない。悦子にはまだ自分が持っている宝物は何なのか、自分がこれから何を失っていくのか、想像もできないし、したくもないのだけれど。」
映画「リトル・ロマンス」の記事を通じて知り合った杭州飯店の杭州さんが『がんばっていきまっしょい』について記事を書かれています。等身大のとてもすばらしい感想だと思います。
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コメント
いつの間にか ヴィラも一周年を迎えました
ご支援(?)ありがとうございます!
chiikoさんが引用されている部分以外にも
輝いているテクストがたくさんありましたね
本当に 心地良く酔わせてもらいました
大阪では7/5から放映開始のようです
気になるようで それでいて 見たくはないような
本当に複雑
でも 続きもののTV番組を拝見する根性はないので
きっと見ないんやろうなぁ...
これからもよろしく お願いいたします!
投稿: 杭州(chiikoさん へ) | 2005.07.02 17:05
杭州さん、どうもありがとうございます。
この記事はきのう書こうかなと思っていたんですよ。
杭州さんの記事をきのう朝、拝見して、とてもうれしく思いました。
この小説は会話も光輝いていますよね。
敷村さんのことばに導かれるようにして私は読んでいきました。
イージー・オールもよかったです。
ドラマのほうは夜10時始まりなので、早寝早起きの私としては、ちょっとつらい感じです。
今、さかのぼってみると、リトル・ロマンスの記事は去年の6月に書いて、杭州さんの訪問は8月1日でした。
これからもよろしくお願いします!
ではまた~
投稿: chiiko(杭州さんへ) | 2005.07.02 19:54