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2005.06.06

ないということ

『螢』は好きでくりかえし何度も読んだのですが、『ノルウェイの森』はたぶん一、二度読んだだけ。けれど場面や言葉や心の光景が超訳のように私のなかに入っていて、ふと思い出すことがよくあります。

最近、貧乏とかお金がないとか、ないということ、について考えることがあって、緑がワタナベ君に語る場面をふと思い出しました。いま緑は大学生。その前まで通っていた学校は「エリートの女の子のあつまる学校」で「大抵の人は金持だった」のです。貧乏には人に言える貧乏と人に言えない貧乏があって、ほんとうの貧乏は人には言えないものなんだ、というようなことを緑はワタナベ君に言っています。

お金がないと人に言えるのは、お金があるから言えるのであって、ほんとうにない時には、ないとは、なかなか言えないものではないでしょうか。けれど時と場合、相手によっては率直に言えることもあるし、 だれかにただ聞いてほしいときもあるように思います。

あるのにないと言ってしまったり、ないのにあると言ってしまったり、そもそもあるとかないの判断は主観的なものであって、絶対的なものではないのかもしれません。あるとないの問題は深くて難しいです。

『ノルウェイの森』の数ある場面から地味なこの場面を私がよく覚えているのは、自分でも不思議なのですが、じつはここにもこの小説のエッセンスが隠されているのかもしれません。村上春樹さんは、あることとないこと、その行ったり来たりをこの本で描こうとしたのかなと、今ふと思ったりしました。何かある状況よりも、ない状況を僕は好む、というようなことをどこかのエッセイで読んだような記憶もあります。

あるから、ないと言える。ないということは何なのか。
うまく言えませんが、そんなふうにつくづく想う今日この頃の私です。


「ねえ、お金持であることの最大の利点ってなんだと思う?」
「わからないな」
「お金がないって言えることなのよ。たとえば私がクラスの友だちに何かしましょうよって言うでしょ、すると相手はこう言うの、『私いまお金がないから駄目』って。逆の立場になったら私とてもそんなこと言えないわ。私がもし『いまお金ない』って言ったら、それは本当にお金がないっていうことなんだもの。惨めなだけよ。美人の女の子が『私今日はひどい顔してるから外に出たくないなあ』っていうのと同じね。ブスの子がそんなこと言ってごらんなさいよ、笑われるだけよ。そういうのが私にとっての世界だったのよ。去年までの六年間の」

              (『ノルウェイの森』上巻115ページより引用)

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コメント

こんばんは〜、chiikoさん。
いま、ノルウェイの森を読んでいらっしゃるんですね。
ハルキのなかでは、一番好きな本です。
といってもそんなにはたくさん読んでは
いないですけど。それにどこがどうといわれると
困ってしまうんですけど、全体的にそこはかとなく
悲しい気分がしてくるのが好きです。
読んだ当時、そんな純愛を描いた小説なんて
なかったですから。自分とっては
緑よりもなおこでしたっけ、
すごく心に残ってます。
自分もあんな風に綺麗な人と東京中を
むやみやたらと何も考えずに歩けたら
なんて思いました。
でも、死んだ親友の彼女だったんですよね。
それがまた無性に悲しかったです。
いま、「海辺のカフカ」を読み始めました。

投稿: face | 2005.06.06 22:03

chiikoさん、ノルウェーの森、あぁそんな話もあったなぁと
懐かしく思い出しました。
ここでの「お金」っていろんなものに、置き換えられますね。

村上さんの小説には、
「あるvs.ない」「光vs.影」「見えるものvs.見えないもの」
「こっちvs.あっち」・・・。
そういう、二元論の座標軸がよく登場しますよね。

いろんなもの、逆さにして見たら、どうなるんだろうね?という
村上さんのメッセージなのかな?

僕にとっての「蛍」は「スプートニクの恋人」の前半部分です。
何回読んでも、飽きないです。
恐ろしいぐらいの吸引力ですね。

投稿: そらみみ | 2005.06.06 23:13

「蛍」なかのくだりでは突撃隊のところがとても印象に残っています。
あの不器用な感じが微笑ましくもあり。
「ノルウェイの森」は今振り返ると不思議な小説だなと思うのですが、結局、緑以外は主要な登場人物はみんなどこかへ行ってしまうんですよね。
あと、短編がのちのち長編になって登場、みたいな事が、春樹さんの小説の面白さでもありますね。

投稿: アキラ | 2005.06.07 01:49

faceさん、おはようございます!
ノルウェイの森はずっと昔に読んだのですが、最近、貧乏という言葉の連鎖で思い出したのです。もう一度読み直してみたくなってページを開いてみました。
なおこさんは繊細で、いえない悲しみを抱えていたような女性ですよね。いま思えば、強さも持っていた人なのかなと。悲しみもいえたのではないかなと。
海辺のカフカをいま読んでいるんですね。感想、ぜひ聞きたいです。

きょうもよい一日をお過ごしください。
早く帰れるといいですね。ではまた!

投稿: chiiko(faceさんへ) | 2005.06.07 06:21

太郎さん、おはようございます!
こんな話もあったこと、思い出していただけましたか。どうもありがとうございます。そうなんです、たぶんお金のことだけを言っているのではないのだろうなと思います。春樹さんがエッセイなどで語る貧乏の話は、おもしろくて奥が深いですよね。

太郎さんにとって蛍は「スプートニクの恋人」の前半部分なんですか! 心の目が覚めるようなコメントですね。私のなかで「スプートニクの恋人」はなぜだかとても印象の薄い小説なんです。太郎さんの視点でもう一度読み直してみたくなりました。

きょうもよい一日をお過ごしください。
ではまた!

投稿: chiiko(そらみみさんへ) | 2005.06.07 06:30

アキラさん、おはようございます!
突撃隊の話は印象的ですよね。国土地理院に入りたいという方。さいごにホタルをくれるのも、この方なんですよね。
そう。みんなどこかへ行ってしまうんですよね、緑と僕以外は。でも、どこへも行ってしまわないで、パラレルワールドではいまもみんないるような気がします。
春樹さんの世界はとてもいいですね。

きょうもよい一日をお過ごしください。
ではまた!

投稿: chiiko(アキラさんへ) | 2005.06.07 06:37

ご無沙汰していました。

1月23日の記事にお立ち寄りした、
金の猿です。

このシーン、緑の「何もない」唄とからんでいて、とても大好きです。
こんなにすごい学校が……この世にあるんですね? 庶民でよかったのかな?

投稿: 金の猿(金さる) | 2005.06.09 22:56

金の猿さん、おはようございます!
緑さんの「何もない」唄。
私の記憶のなかからその唄は欠落してました。
いまさがしてみたら、ありますね。

  あなたのためにシチューを作りたいのに
  私には鍋がない。
  あなたのためにマフラーを編みたいのに
  私には毛糸がない。
  あなたのために詩を書きたいのに
  私にはペンがない。

じんとする歌詞ですね。曲も聴いてみたいです。
どうもありがとうございます。ではまた!

投稿: chiiko(金の猿さんへ) | 2005.06.10 06:59

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