« 2005年3月 | トップページ | 2005年5月 »

2005.04.30

ケロロバス

吉祥寺でケロロバスが走っているという話を聞いて、よく確かめないまま、きのうふらふらと吉祥寺へ行ってきました。

京王線に乗ってまずは井の頭公園駅で下車。井の頭公園は新緑の宝庫でした。さらに進んで井の頭自然文化園へ行くと、ラッキーなことにきのうはみどりの日で無料。予定にはなかったけれど、急遽入ってみました。園内にはトラやライオンはいなかったものの、ほのぼの系の動物がいました。園内最長寿のゾウのはな子さんはゆらゆら楽しそうにダンシングしてました。園内2番目に長寿のツルのイチコさんはペアがいなくてちょっと淋しそう、けれど優雅に歩いてました。近くにいた女の子が「どうしてひとりなの」とお母さんに言っていました。

園内はまだ午前中ということもあって静かで穏やかな空間でした。喧騒前のひとときだったのかもしれません。

井の頭公園を後にして、さらに歩いて善福寺公園へ。善福寺池の弁財天の木の上に不思議な白い鳥を見つけました。最初、あまりにも浮世離れした姿なのでビニールか何かだと思っていたのですが、よくよく見れば鳥だと判明。翁か女神かと見紛うほど不思議な鳥でした。

きのう結局、ケロロバスには出会えなかったけれど、たくさんの新緑と生き物に出会えたみどりの日となりました。緑が日々色濃くなってきて、すべてがディープでクリアになっていく予感。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

ひらめき

ひらめいた思い過ごしや思い違いも恋のうち当たらずとも遠からず
このひらめきも当たらずとも遠からずこのひらめきも誰かのひらめき

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.04.29

ホッピー&ハッピー

ゴールデンウィークという言い方はちょっと、という感じ。
あえて書くならお茶を濁してGWかな。おなじことだけど。
大型連休といきたいけれど、私の場合そうもいかずに小型連休。
三連休という言葉も好き。飛び石連休という言葉はもっと好き。
ホップ・ステップ・ジャンプで、どこまでもいけそうなハッピーな感じ。
ホッピー&ハッピーでいけたらいいな、と思う今日この頃。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

さがしもの

そこにあると聞いて懸命にさがした
見つけられなかった
懸命にさがした自分がそこにいた

| | コメント (4) | トラックバック (0)

パトロール

ゆっくり行き過ぎながら 見守りながら見て回る場所
次はなにをするのだろう 次はなにを言いだすのだろう
なにごともなければいい なにごとかあることもある
わたしのなかの安全地帯のなかのデンジャラスゾーン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.28

友達

 社交辞令の友達ではなく正真正銘の友達
 社交辞令ではなく正真正銘に言われた気がした
 社交辞令と正真正銘 半信半疑の自分もまだまだいる
 大人になると友達なんてできないと思っていたから
 子供のころも友達はそう多くはいなかった
 恋して友達になんてなれないと思っていた
 友達に恋することなんてないと思っていた
 私たちは正真正銘の友達 私がそう信じればそうなる

 映画「フィールド・オブ・ドリームス」の
 「If you build it, he will come.それをつくれば彼は来る」
 という言葉を思い出した

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.27

教えてくれたこと

手放さなくてもいい認めればいい
傷つけたことも傷ついたことも
よくばりもわがままも好きも嫌いも
どのわたしもこのわたしで好きでいい

| | コメント (6) | トラックバック (0)

ゴーサイン

ひとつ傘で歩いた
こんなに近づいたのは初めて
遠い昔にもあったような気がして
やがて青空 大丈夫なサイン
いまここで私たちよくやっている
ゴーという雨だった

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.26

見えるものと見えないもの

 今朝の日経新聞「喪友記」欄で、小室等さんが「高田渡氏を悼む飄々と楽しげに」という文章を寄せています。そのなかでは4月4日に高田渡さんが北海道で倒れてから、小室さんと井上陽水さんが交わしたメール交信について触れていました。高田渡さんと小室等さん、小室等さんと井上陽水さん、井上陽水さんと高田渡さん。詳しいことは何も書かれていませんでしたが、それぞれにそれぞれの交流があったのだなと伝わってくる文章でした。陽水さんの「フォーク仲間」という言葉がとても意外でしたが、ああそうだったんだなと感じました。

 よくあの人とあの人は仲がいいとか悪いとか傍から見てあれこれ判断されることが多いですが、それは一部であって全体ではなく、その二人にしかわからないことがほとんどです。人の人とのつきあいは表から見えるものだけではなく、見えないところで育むものだと改めて思いました。一対一で向き合っていくことから始まるのだろうなと。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2005.04.25

知らない顔

美容院へ行きました。いつものごとく月に一度のお楽しみ。
最近、前髪が自然にぱかっと分かれて、おでこが丸見えになるのが悩みなので、そこのところ何とかならないものでしょうかと聞いたところ、美容師さん「いつもの分け目を左から右に変えてみたらどうですか」と、いとも簡単な答え。早速そういうスタイルにしてもらいました。いつもの見慣れた顔が、ちょっと違った感じの顔に仕上がりました。

よく右顔と左顔はちがう顔とか言いますが、私の場合も、顔を正面に向けて、少し右や左に向けただけで印象が微妙絶妙に変わります。私だけにしかわからないような微妙な違いだけれど。私は私なのに別々の顔をしていて、自分でもドキリするような顔。もしかしたら私さえ知らない私の顔がまだまだあるのかも。無防備な顔をした自分を、もうひとりの自分になっていろいろな角度から見てみたいなと、絶対不可能な望みを、鏡をぼーっと見ながら春の日、思ったりしました。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

満ち満ちる月

誰にも言ってないから
誰も知るわけないのに
知ってほしいと願いをかけた
春のさいごの満ち満ちる月

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.24

満月のウィッシュリスト

   ・してほしかったこと
   ・してあげたかったこと
   リストはもうおしまいにして
   ・してあげたいこと
   ・一緒にしたいこと
   リストへ一緒に進みたい

続きを読む "満月のウィッシュリスト"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

いすとり

このいすだったんだね
座ると勇気千倍の
たったひとつの私のいす

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.23

太陽と牡牛座の季節

太陽が牡牛座に入りました。牡牛座のキーワードは「I have:私は所有する」。牡牛座は美しく光り輝くものが大好きで、なんでもほしがる夢見る夢子さん。ほんとうは、すでにすべてはその手の中にあるのだけれど。早く気づけよこの私。所有することは、すなわち手放すことなのかもしれません。牡牛座月間はすべてキラキラ新緑の季節。天と地と人がつながっていくとき。手放すことが苦手な牡牛座に、手放してもそれは決してなくなりはしないよ、と太陽の声。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

予期

答えを出したら
答えが返ってきました
予期せぬときに
予期せぬところから
予期せぬ答え
手のひらにすべてならべて眺めたら
あらら ひとつの予期した答え
いま天の手のひらへと返します

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.04.22

『恋愛芸術家』

岡本敏子さんの『恋愛芸術家』を、一気に読みました。
ナマの敏子さんがいまここにいて、語りかけてきます。
「どこを切っても岡本太郎さん」とよく言われていたそうですが、
この本も、どこを開いても、岡本敏子さんと岡本太郎さんがいます。

「恋をしていますか?」でこの本の語りは始まります。

続きを読む "『恋愛芸術家』"

| | コメント (10) | トラックバック (0)

錯覚

必要とはされなくなったと感じて
一瞬 とぎれてとだえた気がした
飛び立つ姿が見えた気がして
瞬間 旅立っていったと感じた
いま再びつながった感じがしている

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.21

褒めてあげたい

今日だせない答えは
明日にとっておく
明日の自分に任せる
今日は答えはださない
と決めた今日の自分

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.04.20

岡本敏子さん

岡本敏子さんが亡くなられました。
今月8日、東京・青山の桜がほぼ満開の日に
岡本太郎記念館を訪れたとき元気なお姿を拝見しました。
昨年10月9日の「詩のボクシング」全国大会でもお見かけしました。
とても美しく輝いている女性でした。
これからも太郎さんとずっと一緒ですね。
どうぞ安らかにお眠りください。どうもありがとうございました。

| | コメント (10) | トラックバック (2)

ズヴァリ

ケロロ軍曹の放送は金曜日の夕方。さらにディジタル放送で火曜日の夕方にも再放送をしていることに気づいた私。それで今回2回も見てしまいました。2回も見るとケロロ軍曹のこともだんだんとわかってきました。今回ケロロ軍曹は探偵となり、ゴゴローさんが豆腐の角で頭を打って気絶するという密室事件を推理していました。

続きを読む "ズヴァリ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サンクチュアリー

そらから見た剣が峰は 平和で安全なサンクチュアリー
静かな大地のてっぺんの光る道 すべては天のてのひらのなか

| | コメント (2) | トラックバック (1)

悲しいジンクス

私を好きになるひとは 私も好きになると
やがていつしかここから旅立つひととなる
いままた悲しいジンクスの剣が峰
いまこそ踏みとどまりたい乗りこえたい

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2005.04.19

ひとめぼれ

会ったことはなくても なにも知らなくても
絵を見て 歌を聴いて 言葉を読んで 心に触れて
一瞬にして わけもわからず どうしようもなく
その人に心ひかれてしまう ことがある ときがある
それが出会うということ 出会いのとき なのだろうな

| | コメント (4) | トラックバック (1)

『日本に来た外国詩…。』

高田渡さんが亡くなられました。
先週土曜日に夕刊で訃報を知り、一瞬言葉を失いました。私、高田渡さんについては具体的なことはなにも存じあげなくて、歌を聴くようになったのは昨年から今年にかけてのことです。

聴いたことがあるのはアルバム『日本に来た外国詩…。』の15曲と
あとはほんの少しの曲。けれど心にぽっかりあなが空いたような、
とてもさびしい気持ちになりました。

『日本に来た外国詩…。』は外国詩に高田渡さんが曲をつけて歌っています。詩は外国の誰かの詩だけれど、高田さんが歌うと高田さんのオリジナルの歌になっていて、聴くたびに高田渡さんの人となりに触れていくようなアルバムです。聴く時々の心境によって心に響く歌や言葉、フレーズもその時それぞれで、全部好きな歌です。

高田さんの歌はあたたかいです。哀れではないと励ましてくれます。
きょうの朝は最後の曲「ブルース」を聴いて、じんときました。
泣くなんてちいさなこと、ためいきつくなんてつまらないこと、
でも、それがあるから人生、その繰り返しが人生なんだよ、
と言ってくれているようでした。

歌は永遠。聴けば、いつでもまた会えます。
高田渡さんのことは忘れません。どうもありがとうございます。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2005.04.18

けんがみね

いまが剣が峰 踏みとどまろう 乗りこえよう
聞きたいこと言いたいことは山ほどあるけれど
ひとりてくてく剣が峰 みててみてるよ剣が峰

| | コメント (2) | トラックバック (1)

「ささやかなこの人生」

朝、窓のそとに咲く葉桜の風景を見たり、新聞を読んだり、自分の記事を読んだり、いただいたコメントを読んだり、そのほかいろいろなことをしていたら、いろいろなことが一体となって、涙がはらほろと出てきました。春もそろそろ終わりなのに、春だからそうなのか、きょうだからそうなのか、いまだからそうなのか。壮大な計画って何だろう。私の果たす役割って何だろう。この自然のなかで私もちゃんと私自身の絵が描けているだろうか。まずは目の前にある仕事をやり遂げなければ。などと朝から思いが私のなかでぐるぐると駆けめぐりました。

それできのうの私の記事にいただいたうさうささんのコメントで、風の「ささやかなこの人生」を思い出しました。いまの季節にぴったりの歌です。いま私たちはひきかえすことのできない人生を歩んでいて、終わりのない物語をつくっている。そんなメッセージを受け取りました。歌詞を読み、メロディを思い浮かべたら、また涙がはらほろと出てきましたが、最後の最後には勇気が出てきて、はらほろ涙はとまりました。生きているって、ただそれだけですばらしいです。ささやかなこの人生を私もてくてくゆるゆる歩いていこうと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.04.17

なごりの花

満開のあとのなごりの花咲かす黄緑ピンク恋人桜

| | コメント (6) | トラックバック (1)

どこのひと

わたしは
どこのひとでもない
いまここにいるひと

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ギャップ

あなたは東京の人になってしまった
言われて返す言葉がなかった
わたしは東京の人ではない
東京に住んでいる人になっただけ
心のなかで叫んではみたのだが
わたしのなかで違うことでも
あなたのなかでそれは同じこと

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2005.04.16

哀しい夕暮れ

夕暮れとともにふくまゆ消えてゆく情けないほど泣けてくる顔

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「化粧」

きょうも福眉きれいにかけました。
化粧といえば中島みゆきさんの「化粧」。中島みゆきさんの歌はあまり聴かないけれど、ときどき記憶に残る曲があって、この曲のことも何となくずっと覚えています。自分が出した手紙を返してもらうために、さいごのさいご、きれいに化粧をして逢いにいくという歌。「流れるな涙 心でとまれ 流れるな涙 バスが出るまで」。自分が出した手紙をほかの誰かに読まれるなんて悔しいし、いやですよね。

続きを読む "「化粧」"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

半分の月のコメント

いちどでいいから
自分以外のだれかになって
自分の記事を読んでみたい
コメントがしてみたい
どんなコメントをするだろう
どんなコメント返しをするだろう

きょうは上弦の月 半分の月
半分の月になるということは
そういうことなのかもしれない
自由に率直に思いのままに
一歩ふみだし境界をこえて

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.15

シンクロニシティ

  奇妙なラインが奇妙なカーブを描き
  不思議な符号が不思議に符合する

シンクロニシティの描く文様はとても美しいなと思う今日この頃。自然必然のなせるわざは見ていて、とても気持ちいいです。また新しいサイクルが始まっていく予感がします。せっかちで別れ下手な私は、とても春らしい春の日に、さよならの前にさよならを告げたけれど。春のシンクロ列車はみんなを乗せてまだまだゆくよ どこまでもどこまでも

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2005.04.14

ひとすじ

赤い糸は
一筋縄では
いけない
一本の糸

| | コメント (4) | トラックバック (1)

薄化粧。

きょうは朝、久しぶりに太陽を見ました。桜の木は葉桜と薄紅桜が絶妙のバランスで最後の花を咲かせていて、空は青空、晴れわたり、とても春らしい日の始まりでした。その日一日を占う朝のひととき。
大体その日の気分や体調は眉毛をかくとわかります。私は自宅で仕事をしていて、化粧なんてほんとうはどうでもいいようなものですが、毎朝ささっと化粧をします。ファンデーションは塗ったり塗らなかったり。でも絶対欠かさない(欠かせない)のは目元、口元のメークです。

続きを読む "薄化粧。"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

さようなら

はじまってもいないのにおわらせるのはむずかしい
出会ってもいないのにさよならを言うのはかなしいよ
さよならが言えるのはまた会えるとわかっているから
春はなにも言わずにフェードアウトで去っていく
とても春らしいきょうのこの日にさよならと言えたなら
また会えるかな 会える気がする 春よさようなら

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2005.04.13

アニバーサリー

あちらもこちらもない あなたはそういうひと
ツインもメイトもない あなたはそういうひと
人の気持ちも知らないでって 知らないのはこの私
もとをただせばって  まずはただせよこの私
季節がひとめぐりして そんなこんなが
まためぐりあう また好きになる
これはこれで春の大団円 春のアニバーサリー

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2005.04.12

大地

私はいつも揺れ動いている。ときどき激しく揺れ動く。みっともないし迷惑だし災難以外のなにものでもないと思う。困らせるつもりはないのだけれど苦しめたくはないのだけれど。揺れ動いてごめんなさい。自覚はあるし反省もしている。けれどどうしても揺れ動いてしまう。揺れ動かずにはいられない。誰にも知られずに静かに揺れ動く術と力があればいいのだけれど。今はまだない。ほんとうにごめんなさい。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2005.04.11

春の痛み

宴のあとの月曜日。曇り空。ちょっとレイニーでブルーな気分。きのうは桜吹雪がひらひら舞い散り、誰もいないアスファルト道路の上でくるくるうずを巻いていた。桜もうずのなか桜のうずのなか春はシュワシュワ気泡となって、どこか知らないところへ溶けていっているよう。

昨夜、ちょっと痛みが襲ってきて夜中に目覚めた。
私のからだはいたって丈夫で健康体だけれど、時々いろいろなところが痛くなる。右のおなかとか右手の薬指の先とか右の奥歯とか。大体はからだの右。ハートも痛くなる。一部が痛くなるとわたし全体に痛みが回るような気がして、気弱になる。私は痛みにとても弱い。

それで最近のこと、痛いときにはその痛みとともにいて、じっと耳を澄ませてみればいい、じっと見ていればいいと教わった。やがて痛みの原因が見えてくるかもしれないし、たとえ見えなくても、やがて痛みもおさまるかもしれない。いつまでも続く痛みはそうはない。痛みの原因は自分の内側にあるんだと。春は痛みの季節でもあるように思う。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2005.04.10

春はモアモア

最近ココログの仕様変更がありました。バージョンアップして今までできなかったことができるようになったそうです。それ以降chiiko通信のコメント欄の本文の幅が狭くなってしまいました。さらに確認画面になると、もっと狭くなります。設定をかえた覚えはなく、特別のカスタマイズもしてません。ほかの方のココログを見てみたところ、狭くなっている方もいるし広いままの方もいます。どうしたものか困ってます。

続きを読む "春はモアモア"

| | コメント (8) | トラックバック (1)

こちら

ふりむかないひとの
めのさきにこちらがあればいい
ふれあえないひとの
ゆびさきにこちらがあればいい

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.04.09

岡本太郎さんと敏子さん

岡本太郎記念館に行って、岡本太郎さんに会ってきた。敏子さんにもばったり会えた。「こんにちは」と言うと「こんにちは、いらっしゃい」と迎えてくれた。今は『透明なリアル』展開催中。庭や館内には太陽のオブジェがさまざまたくさんあった。どれも太陽でどれも太郎さんだった。「太陽の塔」もあった。「太陽の塔」の背面には黒い太陽が描かれていることを初めて知った。「黒い太陽」という作品も心に残った。白い線で描かれた黒い太陽の顔。その中心から赤、青、緑、黄、黒の炎が立ち上り、広がっていた。すべてのおおもとの絵だと感じた。

続きを読む "岡本太郎さんと敏子さん"

| | コメント (2) | トラックバック (2)

牡羊座の春の新月

春 はじまる 春 はじまらない
はじめ方がわからない 
はじめて会った日のことを
思い出してみる
はじめて交わした言葉を
思い出してみる
はじめて好きになった時のことを
思い出してみる みんな春だった

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.04.08

春のみつけかた

幸せにも尾があるように春にも尾があるように思う。春は波動のようにやってきて私たちを包んでくれている。春はいま確かにここに来ているけれど、見えそうで見えない。キャッチできそうでキャッチできない。春よ、まだまだ行かないで。以前に読んだおーなり由子さんの『天使のみつけかた』にヒントを得て、春のみつけかたを考えてみた。
①”会いたい”と思うキモチ。
②目で見ようとしない。
③春のことをうわさする。
④心のまわりに”見えないカベ”をつくらない。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

春のライン

消そうにも消せない
わたしがつなげたラインだから
消そうにも消えない
かみさまがつなげたラインだから
春 いとおしく くるおしい季節
どうしようにも どうしようもない
いま必要なのは 消火より開花
いまほしいのは 消しゴムよりスイッチ
消しさらないで 切りかえてみて

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.07

静かな春風の日

久しぶりに手紙を書いた。便箋を前にして、最初書けるかなとちょっと不安だったけれど、意外とさらさら書けた。便箋に書かれた自分の文字を久しぶりに見て、ほっとした。懐かしかった。くせのある文字。このくせのある文字がくせもので、私の私たるゆえん。自分との再会。
飯田史彦さんの『生きがいの創造Ⅱ』をきょう読み終えた。「Do Not Say Good-Bye、愛するあの人と、また必ず逢える」。合い言葉は「つながった!」。届け出も手続もいっさい要らない。いつでもすぐにつながることができるんだと教わった。きょうは午後から静かな風が吹き、満開の桜がはらはらと舞っていた。美しく静かな春の日この日。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

春の日ひとり

ずっとひとりでいた
ひとりで朝、目覚めて
ひとりで仕事して
ひとりで昼ご飯を食べて
ひとりで図書館に行って
ひとりで散歩して
ひとりで夕ご飯を食べた
やがてひとりが帰ってきて
ひとりの時間は終わった
いまもずっとひとりの時間が
つづいているような気がする

| | コメント (6) | トラックバック (0)

ただ見る日

きょうはココログメンテナンスの日。
7:00-13:00 までの間
トラックバック、コメントの書き込みが
できないそうです。
ココログの閲覧はできるとのこと。
私にとってもメンテナンスの日なのかも。
この春のなかにいて、この春をただ見る日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.06

野菜カレーとワラビ。

きのうは野菜カレー。いつものタマネギ、ニンジン、ジャガイモに加えて、ピーマン、ナス、トマトを入れてつくりました。ルーはサラサラ加減にして、野菜をくたくたになるまで煮込みました。反省すべきは、ナスを薄く切り過ぎてしまったこと。最後には跡形もなく消えていました。いつもの福神漬けにかえてキャベツの簡単ザワークラフトもつくりました。春の野菜をたくさん食べて、春の力を体の中に取り入れました。

続きを読む "野菜カレーとワラビ。"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

春なのに。

夕げの買い出しに外へ出たら、なまあたたかい風が吹いていた。今、春は春なのだけれど、初夏の初めのようなものをちらりと感じた。陽差しも少しずつ強くなってきた。着るものも薄着でよくなってきた。身軽は気持ちがいい。心も体も動きやすくなる。ただそれだけのことだけれどなぜかうれしく、春を楽しみながら早くも初夏を待つ気持ち。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春はへんか

聞いてもないのに変と言われて
うれしかった やっぱりそうなんだ
変な人から変な人と言われて
うれしかった やっぱりそうなんだ
変化って変になること 恋も変かも
変ってへんか 変ではないよ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2005.04.05

ふたたび飛行船

春の日の午後、なにもかも放り出して、ふらふらと桜見の散歩に出かけた。目黒川の桜は五分咲き。ときどき満開間近の桜も見かけた。西郷山公園の芝生には花見らしき人が多く憩っていた。私の好きないつものベンチはふさがっていた。ここの桜の木はひっそりと点在していて、ちらほらと咲いていた。青い空には飛行船が漂っていた。

続きを読む "ふたたび飛行船"

| | コメント (6) | トラックバック (2)

となりあう木

はやくも満開まぢかのセッカチ桜
まだまだ咲きはじめのオットリ桜
似て非なる木なのか そうとも言えない
根はひとつなのか そんな気もする
ハイペースとスローペース どちらも変則マイペース
あいたいのにあえなくて あわないのにあっている
となりあう木も もとはひとつのめぐりあう木

| | コメント (4) | トラックバック (0)

わたしかひかりか

地下化する私より 大地化する私
ふゆかする私より はるか開花する私
あなた化する私 それはいつものこと
わたし化する私 いまはその途中
ひかり化する私 いつも願う本望

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.04.04

ケロロ軍曹と私。

ケロロ軍曹のことは今まで番組もろくに観たことがないのに、その顔と名前に強烈に引かれて、ずっと最近のマイブームだった。それで先週金曜日、放映時間が変更になったのを機に真剣に観てしまった。この日のタイトルは「再び大地に立つ!」。観てもケロロ軍曹のことはよくわからなかった。でも面白かった。ケロロ軍曹はどうやら壮大な野望を抱いているようだが、間抜けなところがあって、最後は炊事洗濯掃除をやらされていた。あと面白かったのが、擬音語・擬態語、心理状態などが、やたらと画面いっぱいに文字化されていたところ。グポーン、ガシャーン、シンシン、ヒタヒタとか、気まずい沈黙とか。

私も自分の感情や思いを文字化するのが好きだ。それはほとんど意味のない言葉の羅列なのだけれど。それが詩や短歌、文章になったりする。文字化してどんどん外に流していくことで、心の整理整頓をしてバランスを保っているような感じ。そして私にも小さいながらも壮大な野望がある。けれど間抜けで日々失敗失意の連続だ。うまく言えないけれど、ケロロ軍曹と私にはどこか共通点があるように思う。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

あわれまぼろし

哀れそうなだけ 哀れとは言いきれない
幻のようなだけ 幻とは言いきれない
思われてもいい 言わせておけばいい
まだ決まってはいない 誰にもわからない
哀れでない私 幻でない私が 今ここにいる

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.04.03

春はねむい

 桜はいつ咲くか咲くかと思わせて知らぬ間に咲いていて、東京では3月31日に開花宣言。横浜ではきのう開花したそうです。うちの近くの桜もきのう朝、見たら、咲いていました。また会えた、とうれしい気持ち半分、もう咲いてしまったの、というさみしい気持ち半分。さらに散歩の途中で見た桜は、まだ咲き始めなのに、かすかに散っていました。桜の花のいのちはほんと儚くせつないです。でも大丈夫。散っても散っても咲いていく桜の花は、まだまだこれから、健在です。
 それで春は眠いです。夕べは5時から早めの夕食をとったら、7時過ぎには眠たくなって、8時過ぎには寝てしまいました。真夜中ころに一度目が覚めて、それから再び夢のなか。夢はたくさん見たけれど、なにひとつ覚えてないほど熟睡して、春はどこまでも眠い季節です。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

桜の連鎖

桜の木は大地の手のひら
桜の蕾は大地のゆびさき
宇宙に恋して花ひらき
宇宙に舞って散っていく
舞って散っても どこかの蕾が花ひらき
舞って散っても どこかの桜が花ひらき
宇宙に舞って大地に返る それは願い
春 そう願わずにはいられない季節

| | コメント (2) | トラックバック (1)

地下化する愛

消そうにも消せない愛のともしびは行き場もとめて地下化して咲く

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2005.04.02

うぬぼれ

いまはうずのなかうわのそら あなたもそうではないですか
きのう涙あふれこぼれた あなたもそうではないですか
きのうよい知らせ届いた あなたもそうではないですか
きょうもまた涙流すかもしれない あなたもそうではないですか
それでもなおきょう笑っていたい あなたもそうではないですか
うぬぼれていいですか 春 うぬぼれずにはいられない季節

| | コメント (4) | トラックバック (0)

鼓動する春

道の初めと終わりはどこなのか
いつも思ういつも惑ういつも聞く

道はきえない道はつづく道
君をふるわす君の立つ大地

符合して答え返ってきた
鼓動する春の日この日

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.04.01

先生どうもありがとう。

四月一日はいろいろな思い出があって胸がきゅんとする日。学校のお別れ会の日。赴任していく先生を見送る日でもあった。今朝、ふとある先生のことを思い出した。小学一年生の時の担任の先生。日記を書きましょう、とクラスのみんなに呼びかけた。日記を書いて朝、先生の机の上に出しておくと、帰る時には感想を書いておいてくれた。それがうれしくて毎日書いた。二年生になって担任を離れてからも、校内で会うと「日記つけている?」といつも聞いてくれた。私が三年生になった時に、他校へ赴任したか退職したかで学校を去っていった。中学生になって町で偶然会ったときも「元気? 日記つけている?」と聞いてくれた。そのとき私はもう日記を書いていなかったのに、「はい」と答えてしまった。だんだん大人になるにつれ日記は書かなくなっていったけれど、今はchiiko通信を書いている。先生のおかげかなときょうふと思った。先生、どうもありがとう。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

希望と抱負

いろいろな自分を持った
ひとりの私になること
ひとりの私であること

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2005年3月 | トップページ | 2005年5月 »