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2004.09.30

スペシャルボール

イチロー選手が大リーグ年間最多安打記録2位の254本に並びました。目標はあと1人、あと3本です。
イチロー選手は生まれてから今までに何本のヒットを打ってきたのでしょう。その1本1本がこの記録に結びついているのだと思います。
今、イチロー選手はイチロー選手にしかできないことをやっています。
だれも彼になりかわることはできません。
だれも彼の気持ちを推しはかることはできません。
彼自身にもその瞬間の気持ちは今はわからないことでしょう。
大リーグ機構は彼のためにスペシャルボールを用意しました。
きょうスペシャルデーになるでしょうか。なってほしいです。
その瞬間をこの目で見たいです。

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2004.09.29

青山ブックセンター再び

満月を過ぎて、うれしい知らせが届きました。
青山ブックセンターがきょう営業再開しました。
青山本店と六本木店がリニューアルオープンということで、これにあわせてイベントも開催されるようです。
柴田元幸さん、蓮實重彦さん、吉増剛造さんのイベントに行ってみたいです。
広尾店は流水書房広尾店として既に営業を再開していたようです。
流水書房は青山店をよく利用していて好きな書店の1つなので、
寂しいけれど、まずはひと安心というところです。
書店は私を新しい場所へとつなぐ大切な場所。
新しい出会いを求めてまた行きたいです。
全国のABCも再開できるとよいですね。

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素直な月

きのうの月は素直な月
素直な月に素直な心
素直な心に素直な好き
いろんな素直に会いました
素直な月よ ありがとう

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気持ちよさそに

秋のつき気持ちよさそにぷかぷかと雲のプールに浮かんでました

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2004.09.28

牡羊座の満月

きょうは満月です。望むものはたくさんあるけれども、きょうは望みが何もないように感じます。牡羊座の満月だからでしょうか。からっぽの満月、まっさらな満月、始まっていく満月という気がします。一日のうちでまた気分は変わるでしょうから、月夜の時刻まで月を想いながら私のほんとうの望みは何だろうと考えてみようと思います。

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2004.09.27

「時をかける少女」

 9月は長月。9月の夜は長いです。あらためて思います。9月の雨はやさしいです。太田裕美さんの歌を思い出します。
 きのうCSの日本映画専門チャンネルで「時をかける少女」を観ました。原田知世さん、かわいかったです。最後、再会の場面でじーんと来ました。700年の時を越えてケン・ソゴルはやはり会いに来た。和子もやはり待っていた。2人の記憶は消し去られても2人の心に想いは刻まれていて、約束は果たされて再会の時がやってきた。時の入口と出口はちゃんとつながっている。「続・タイム・トラベラー」がハッピーエンドになった。この映画は「続続・時をかける少女」なのだなと思いました。ラベンダーは過去と現在と未来をつなぐ香りです。

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雨はやさしく

会えない日せかいでひとりきりのよう雨はやさしくわたしをつつむ

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2004.09.26

サガンよ、さようなら

悲しみの雲はゆく
悲しみよ さようなら
悲しみよ こんにちは
悲しみは悲しくはない
悲しみは やってきて
悲しみは さってゆく

悲しみの雲はゆく
わたしの雲と
あなたの雲と
すばらしい雲と
悲しみは 流れきて
悲しみは 流れゆく

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2004.09.25

雨やさし

雨やさし離れたふたり包み込む わたしにやさしあなたにやさし

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母の花

コスモスは母の花
もうすぐあなたの誕生日
あなたがいるからわたしがいる
ふるさとの行きの小道に咲いている
ふるさとの帰りの小道に咲いている
つよくてやさしい母の花
ことしも咲いているでしょう


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2004.09.24

てくてくと行けば

暮れてゆく秋の小道をてくてくと行けば宵月わたしを照らす

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読書の秋に想うこと

秋は読書の季節でもあります。
本を読むことは大好きです。
特に日本の小説、男性作家物。
女性作家の作品はあまり読みません。
本棚を見渡してみても極端に少ないです。
好きな女性作家は何人かいます。
宇野千代さん、三浦綾子さん、幸田文さん、向田邦子さん、最近は川上弘美さん。
女性の書いたものは、既に自分が知ったことを読むような気がして、いや、そんなことないでしょうとか思いながら読みます。
自分のなかのうそを読むような、うそを見抜いていくような感じ。
男性の書いたものは、女の私にとっては新たな視点で、男の人ってそういうふうに思い考え感じているのねと思いながら読みます。
うそかもしれないと思いつつも、うそを信じてみたくなる感じ。
男の人がどう思い考え感じているかは永遠の謎です。
私は謎解きがしたくて本を読んでいるのかもしれません。
秋は男女の間の謎が深まる季節でもあります。
この秋もたくさん本を読みたいです。

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2004.09.23

斎藤一人『ツイてる!』

斎藤一人さんの『ツイてる!』を読みました。今まで斎藤一人さんのことはよく知りませんでした。スリムドカンの人で、お金持ちの人、ということしか知りませんでした。情報に疎く、無知な私です。

至言の森の無名さんが斎藤一人さんの言葉を取り上げられていて、私はその言葉にとても感動し、著作を読んでみたくなりました。まずは『変な人が書いた成功法則』をと思ったのですが、思い立ったその日に行ったブックス代官山の店頭では見当たらず、最新刊の『ツイてる!』が平積みされていたので、これでよいかもと思い、さっそく購入して読みました。
斎藤さんの言葉は、シンプルですが、深いです。読んで心が軽くなります。人生を生きる上で役立つ本です。斎藤一人さんの言葉に今のこの時期に出会えて、私はほんとうにツイてます。

心にぐぐっときた言葉は幾つかありますが、なかでも感動したのは、「現在悩んでいることは一年後には消えてしまう」という言葉です。「悩みとは、自分ではどうにもできないこと」と斎藤さんは悩みを定義しています。
悩みとは、自分ではどうにもできないこと。自分ではどうにもできないことが、1年後にはどうにかなって、悩みが勝手になくなっている。悩みは時間が解決してくれる。時間が自分に味方をしてくれる。

私は悩むのが趣味、と言われるほど悩みの多い人間です。いつもどこからか悩みを見つけてきては悩んでいます。まずは1個大きな悩みがあって、そのほかに小さな悩みが10個ぐらいあります。ああでもない、こうでもないと、いつもいろいろ悩んでいるわけです。
しかし、よくよく考えれば、1年前に悩んでいたあの1個の大きな悩みは、今、跡形もなく消えています。さらに、1年前に悩んでいた小さな悩みの10個にいたっては、どんな悩みであったのか、まるで覚えていません。ということは、今、悩んでいるこの大きな悩みも、来年の今ごろは跡形もなく消えているということになります。これは目からうろこの、ものすごい気づきでした。心がすうっと軽くなりました。

これまでの凝りかたまっていた私の考え方が、ひょいと一回転して、新しく着地したような気分です。考え方が変わると、見える風景も変わる。斎藤さんの本を読んでの、これが率直な感想です。

斎藤一人さんの言葉に出会えて、私はほんとうにツイてます。
至言の森の無名さんに出会えて、私はほんとうにツイてます。
どうもありがとうございます。

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2004.09.22

半分の月

上弦の月は半分の月
半分が泣いていると半分も泣いている
半分が笑っていると半分も笑っている
半分は離れていても
半分のことがよくわかります

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雲のプール

空のうえ雲のプールは時に笑いが満ちあふれ
空のうえ雲のプールは時に涙がこぼれおち
あるとき雲のプールはわたしの涙でいっぱいになりました

あなたはなぜと一言たずねると 静かに涙をくみ出しはじめました
空のうえ雲のプールには二人しか乗れません
あなたは時々いなくなるけれど こういう時にはいてくれる

わたしの涙は消えてゆき 雲のプールはもとどおり
空のうえ雲のプールはふたたび風に吹かれていきました

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2004.09.21

海が見たくて

朝 目覚めて海が見たいと思った
海が見たいと言うと 見にいこうかと言った

電車を乗りついで 1時間後には海を見ていた
海を見るのも久しぶりだが ふたり並んで歩くのも久しぶりだった
なじんだ歩幅と歩く速度が心地よかった

海の向こうの島影が 蜃気楼のようにゆらゆら浮かんで見えた
もしかすると ほんとうの蜃気楼かもしれないと一瞬思った
あちら側に渡りたいと言うと トンボになって渡ってみようかと言った
秋のやわらかな光に包まれてこのままずっと海を見ていたいと思った

いままでに何度 一緒に秋を越してきただろう
たった一度 一緒に越せなかった秋がある
この秋も越していく これからの秋も越していく

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2004.09.20

雲のプール

空のうえ雲のプールでファインダーのぞくあなたをふわふわ見てる

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トンボのように

ゆらゆらと海の向こうの蜃気楼トンボのように飛んでいきたい

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2004.09.19

雲のうえ

山のうえ雲のうえまでのぼったら
かわいい少女に会いました
子供みたいな大人のような女の子

どうしたら 自分を好きになれるか教えてください
どうしたら 私が私らしくいられるか教えてください
どうしたら 道を迷わずにいけるか教えてください

かわいい少女はにっこり笑って言いました
大丈夫よ 大丈夫 すべては知っていることだから
だんだんに思い出して だんだんに気づいていく

わたしはあなたのそばにいて ずっと見ているから
あなたもあなたから離れずに あなたをぎゅっと抱きしめて
道を歩いていけばいい 道はだんだんにひらけていく

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2004.09.17

美容院へ行きました

 美容院へ行きました。月に1度のお楽しみ。髪を切ってもらうのは大好きです。カットする人、される人、この時だけは相思相愛の恋人同士。「きょうはこんな感じでお願いします」「はい、わかりました、おまかせください」。シャンプー&リンスのあと小気味よいカッティングの音を聞きながら、軽やかな手の動きを見ながら、時折おしゃべりを楽しんで、鏡のなかの私が生まれ変わっていく。わくわくどきどきうっとりしながら幸せな気分に包まれます。信頼し安心しおまかせできる美容師の人と出会うことは人生の小確幸のうちの1つですね。夢のような時間はあっという間に過ぎていったけど、まんぞくまんぞく、またまた新しい私に仕上がりました。

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2004.09.16

奈良美智展で天使と出会う

「奈良美智-From the Depth of My Drawer」展(原美術館にて8月11日~10月11日開催)を見てきました。(8月10日に私、こんな記事を書いています。)
 原美術館へは初めて行ったのですが、この建物にまず私は恋をしました。御殿山の洋館を利用した現代美術の専門館で、不思議の国のアリスが住むような素敵な空間でした。いつかはこのような御殿山の洋館で暮らしてみたいと思いました。

 館内の空間いたるところに奈良美智さんの気配がただよっていました。1つ1つの作品を見ていると、すぐそばに奈良さんがいるような親密さを感じました。夢や記憶や心を共有しているような親密な感じです。奈良さんの描く少女は私のインナーチャイルドを呼び起こします。見ていて笑える絵もあるし涙ぐむ絵もあるし、励まされ勇気づけられます。奈良さんの絵はやっぱり大好きだなと改めて思いました。
「YOU ARE NOT ALONE」と描かれた作品にじーんときました。
「君はひとりじゃないさ」というメッセージ。
 そうですよね。僕はひとりじゃないし、君もひとりじゃないし、みんなひとりじゃないんだ。すねても泣いても不機嫌でも気まぐれでも君はやっぱりかわいい永遠の少女なんだと言ってもらえた気がしました。

「Flying Angel」(1999年)という絵に初めて出会い心引かれました。かわいい少女がふわふわゆらゆら楽しそうに空を飛んでいる絵です。不機嫌な顔をしてなくて無邪気な顔をしています。それを見た瞬間、私の心に刺さっていたとげが1本すっととれていくのを感じました。空飛ぶ天使が私のそばにもいたのです。今もそばにいるのです。
 奈良美智さん、天使に会わせてくれてどうもありがとう。絵を描く人の夢を見せてくれてどうもありがとう。また会いに行きますね。

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2004.09.15

絵を見る日

  絵を描く人は夢のなか
  絵を描く人の夢を見てみたい
  夢のなかどんな絵を描いているの
  赤い夢 青い夢 虹色のパレット
  階段をのぼり 扉をひらき 椅子にすわり
  花を摘み 空を仰ぎ 何を見る 何を聴く
  絵を描く人は夢のなか
  絵を描く人は眠りのなか
  揺り動かしても目覚めそうにない
  夢のなかへいざなわれ
  夢のなかで会えたなら
  絵を描く人は目覚めるかしら
  絵を見る人も目覚めるかしら
  絵を描く人の夢を見てみたい


きょうは絵を見る日です。
絵を描く人に会いに行きます。
絵を描く人と出会えますように。

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2004.09.14

『アフターダーク』読了

 新月直前に 『アフターダーク』 (村上春樹著)を読み終わりました。午後11時56分から翌朝6時52分までのひとつの闇をめぐる物語。発売日9月7日という日付には何か意味があるのかなと発売前から何となく思っていましたが、読みながらその意味に気づき、読み終わった今、やはり意味はあったのだと実感しています。少なくとも私にとってはですけど。9月7日は下弦の月。月は日ごとに光を減じていきました。今、月は闇のなかにすっかり溶け込んでいます。この7日間ぐらい闇のなかにいて闇を身近に感じたことはかつてありませんでした。

『アフターダーク』は境目を越えることについて書いた本だと思いました。光と影、今日と明日、私とあなた、自分の中の2人の自分、2つを分けている境目は夜の闇のなかではなにもかも消えてなくなり、どちらがこちら側なのかあちら側なのか、わからなくなります。
 そもそもそんな境目など最初からないのかもしれない。闇という境界世界では境目がなくなって、言葉もなにも越えた理解が生まれる。人はなかなかわかり合えないけれど、わかり合える人もいる。わかり合える時もある。その時は突然にやってきて突然に去っていく。だから、いつ闇に出会ってもいいようにしておきたい。私はそんなふうに思いました。

 とくに印象に残った文章を書き記しておきます。

「そのとき私は、エリの両腕の中にそっくり自分を預けることができた。私たちは暗闇の中で隙間なくひとつになることができた。心臓の鼓動まで、私たちは分け合うことができた」。
「でもそれが最後だった。それが……なんていうか、私がエリに対していちばん近くまで行くことができた瞬間だった。私たちが心を重ねあわせ、隔てなくひとつになれた瞬間。それからエリと私はどんどん遠く離れていったような気がする。離ればなれになって、そのうちにべつべつの世界で暮らすようになった」。

 たとえいつか別々の世界で離れて暮らすようになったとしても、その人のいちばん近くまで行くことができたと心から思える瞬間があれば、それが愛というものであって、その人を愛した記憶は永遠で、人は次の闇に向かって生きていける。『アフターダーク』を読んで私はこんなふうに思い感じました。

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2004.09.13

「よしとみさん」と上田知華さん

『センセイの鞄』『パレード』の装丁&挿絵を描いた吉富貴子さんのサイトがあるんですね。
「よしとみさん」というサイトです。涼さんの記事で知りました。
吉富さんの絵はほんわかとして、あたたかくて、やさしくて、じわりと心にしみてくる絵です。サイトを見て初めて知ったのですが、米澤式健顔ロゴ、上田知華さんのCD「LaLaLa」のジャケットも吉富さんの作品です。

そして思い出したのですが、上田知華さんはよく聴いてました。ピアノと弦楽四重奏と上田さんの透明な声が美しく溶け合っていました。恋する乙女心をゆったりゆるゆるせつなく歌っています。「I WILL」というCDが好きです。一番好きなのは初期の「上田知華+KARYOBIN(3)」です。秋に聴きたいアルバムです。

「上田知華+KARYOBIN(3)」曲リスト
MAGICAL MYSTERY KISS
ベンチウォーマー
カトリーヌへの手紙
パープル・モンスーン
LADY'S BLUE
少年
MEMORY
バス・ステーション
心変わり
プールサイドで待つわ
さよならレイニー・ステーション

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2004.09.12

いろいろな空

 自分の頭上の空が晴れとか雨とか曇りとかで喜んだり悲しんだり落ち込んだりして、私はやっぱり自分の中心で愛を叫び過ぎです。きょうも新しい朝がやってきたことに感謝します。いまこの瞬間にもこの世界にはいろいろな空がある。目に映る空、もっと遠くの空、見えない空へも思いを馳せて、きょうという一日を過ごしていきたいです。
 もうすぐ新月なので私は新月のウィッシュリストをつくります。今度の新月は9月14日乙女座で起こります。豊かな収穫の予感。色鮮やかな秋の願い事にしたいと思います。

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足音を聴く

しきいごえ越すに越せない秋の夜すぎゆく君の足音を聴く

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2004.09.11

日付の重さ

今日という日付の重さ知りながらただ過ごしゆく自分恥じいる

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猫のこと

 猫の寿命が延びて9.9歳になったと新聞に載ってました。猫の人生って案外短いのですね。ただしこれはイエネコの寿命なのでノラネコの寿命はもっと短いと思われます。猫の1日は私たちの1週間ぐらいということでしょうか。そう思うと猫の1日は果てしなく長いのです。

 一番思い出深い猫は「ニャゴ」という名前の元イエネコのノラネコで、初めて出会ったときにはまだ子猫で、首輪をつけていました。成長するにつれ首輪がきつくなり苦しそうだったので、夫が首輪をほどき、野に放ち、晴れてノラネコにしたという思い出の猫です。私たちの住むアパート近辺で暮らしていて、一日に一度は必ず顔を見せてくれました。
 ニャゴとのつき合いは短く1年ちょっとでした。大晦日の朝、近所のごみ捨て場で冷たく横になっているのを私が発見しました。本当は市に電話するなりして引き取ってもらうべきだったでしょうが、大晦日ということもあり、夫の帰宅を待って夜、近くの河原へ行って埋めました。あと一日生きていればお正月を迎えられたのに、なんだかニャゴらしいなと思いました。今でも1年に1度は昔住んでいた場所を再訪し、ニャゴが眠るあたりを見に行きます。

 ニャゴと出会うまで私は猫があまり好きではありませんでした。まずニャゴを好きになり猫が好きになっていきました。そして、ニャゴが私のもとを去ってから猫がますます好きになっていきました。とても感謝しています。私からすれば1年のつき合いもニャゴにとっては人生の大部分でした。長い間そばにいてくれてどうもありがとう。もうこの世にはいないけれども、いつもすぐそばにいるような感じがします。守り神のような猫です。

 猫の写真集は何冊か持っています。
 『Kittens in Japan 子猫の日本めぐり』住田篤起著(講談社インターナショナル)が一番気にいっています。かわいい子猫が日本各地を旅して、伝統文化、芸能、食べ物、人と出会います。子猫による日本案内記です。美しい日本の風景と、子猫のひたむきできょとんとした瞳が印象的です。子猫の姿は眺めているだけで心なごみます。演技じゃなく素のままでいて、生き生き生きています。

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2004.09.10

一葉と一枝

小枝と葉っぱの声がする
わたしあなたの一葉になりたい
わたしあなたの一枝になりたい
朝焼けのなか 夕焼けのなか
風が吹き 木もれ日が射し
一葉と一枝の影法師

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からだを動かす日

 きょうは体操教室の日なので、思いきりからだを動かしてこようと思います。からだを動かすのは久しぶりです。
 夏の終りに足を負傷して、外を出歩けない日々が続いていました。それは大した傷ではなく、日常生活にはなんら支障はなく、おとなしくしていれば治る傷だったので、傷が治るのを家でおとなしく待っていればよかっただけのことです。でも、ふだんが健康なだけに外を自由に出歩けないのはとてもつらかったです。ちょうど高校野球やオリンピックの時期と重なったので、それがよい気分転換になりました。怪我の功名として本をたくさん読めたし、音楽もたくさん聴けたし、ココログの記事もたくさん書けたし、健康のありがたさが身にしみてわかったので、それはそれでよかったと思っています。すべては必要だから起こったこと。終りよければすべてよしです。
 夏の終りに計画していたプチ旅行は取りやめました。夏の三浦半島に行きたかった。青い空と海と一面に広がるスイカ畑が見たかった。夏の東京の街歩きもしたかった。汗だくになって歩きたかった。
 今はもう傷は治り自由に歩けるようになったので、秋はいろいろなところを歩いて旅をしてゆきたいです。

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2004.09.09

暗闇サッカー

 昨夜のW杯ドイツ大会1次予選日本対インドは4-0で日本が勝ちました。見ていて試合とは直接関係ないところで楽しめて、またまたサッカーが好きになりました。前半終了後のハーフタイムに突然スタジアムが停電になって、後半開始が大幅におくれました。このまま暗闇サッカーをしたりするのかもと一瞬思いました。
 日本でも少なくとも私が小さい頃の田舎では突然に停電と断水とかしていました。インドにはインドの事情があって、インド時間が流れているようです。「そういうものだ。それがどうした」という村上春樹さんの言葉を思い出しました。停電中のハーフタイムという非常事態下にあってもインド人らしき関係者らしき人がジーコ監督にひっきりなしにサインを求めていて、ジーコ監督も淡々とサインしていて、そういう光景を見ていると、夢のようなうつつのような、ものすごい状況のなか選手たちは戦っているのだなと感動しました。
 私的には小野選手が光ってました。選手&監督、テンションを切らすことなく後半を戦いきりました。おつかれさま。次も勝ってください。

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2004.09.08

水上勉さん、どうもありがとう

 水上勉氏 逝く
 水上勉さんのことはTVドラマ「飢餓海峡」を見て、その原作者ということで初めて知りました。とくに好きな作品は『越前竹人形』『雁の寺』『湖の琴』です。学生時代には福井の日本海をなんどか見に行きました。作品の舞台となった日本海をぜひ見たいと思ったからです。行くのはいつも冬でした。ゴーという音と波しぶきと冬の寒さは今でも鮮明に覚えています。福井にある越前竹人形の里へも足を運びました。水上作品の一つ一つと冬の日本海の光景が、私の心の奥の静かな場所に今もあるなと感じています。また作品を読んでみたいし、日本海へも行ってみたいと思います。
 心に残る作品をどうもありがとうございます。
 ご冥福をお祈りします。

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枝と葉

 台風の影響で、きのうからきょうにかけて、ものすごい風が吹き荒れました。風の音を聞きながら、風に揺らぐ木を見ながら思いました。これだけ激しい風が吹いているのに木はちゃんと地面に立っていて、葉っぱもちゃんと枝にくっついている。いつか落ちる葉っぱもあるけれども、いつまでも落ちない葉っぱもあって、落とさないよ、落ちないよ、枝と葉は互いに強くつながっている。新鮮な驚きでした。木はやわらかくしなやかで強靱なのだなと目で見て心から思いました。

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2004.09.07

ふたり見送る日

きょうはふたり見送る日
あなたは西へ わたしは東へ
ふたり家を出て
先の十字路で別れます
ひとり旅でもふたり旅
ふたり旅でもひとり旅
どこにいてもわたしはわたし
どこにいてもあなたはあなた
旅のたよりを待ってます
旅のたよりを送ります
けさの朝焼けは美しかった
夕焼けはふたり見えないけれど
旅のどこかで会いましょう
旅を終えたら会いましょう
行ってらっしゃい 行ってきます

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2004.09.06

去年の私からの贈りもの

 秋の夜は長くて静かです。秋は私と私が深く寄り添う季節なのだと思います。この夏は本をたくさん読みました。長かった夏休みも終わり、9月からはいつもの生活&仕事が始まりました。まだペースがつかめないでいます。去年の今頃の日記を読み返していたら、私、こんなことを書いていました。

夏の初めに世田谷の蘆花公園を訪ねました。10年ぶりの再訪です。 公園の一角に徳富蘆花の資料館があり、ふたたび引き寄せられるように足を踏み入れました。 館内には徳富蘆花の言葉がさまざま掲げられていて、その中のひとつに胸を打たれました。 「人間は書物のみでは悪魔になり、労働のみでは獣になる」 今、シンプルな自然の生活に戻るときが来ているようです。

 書物と労働、仕事と家庭、自由と仕事、2つのバランスをうまくとることが今の私には必要だと痛感しています。一日じゅう好きな本を読み、好きな音楽を聴いて生きていけたらどんなにいいだろうと思う一方で、それだけでは生きていけないのだろう、私の心は絶対に満足しないだろう。去年の日記を読んで大切なことを教わりました。やはり日記はつけておくものです。きょうは何の言葉も浮かばないので書かずにおこうと思いましたが、こうして書くことができてよかったです。これは今年の私から来年の私への贈りものです。

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2004.09.05

『アフターダーク』発売直前

『アフターダーク』の発売日9月7日が近づいてきました。
 先月8月6日の時点では「夜明けまでには、まだずいぶん時間がある」という著者紹介文しかなかったのですが、いつの間にか「真夜中から空が白むまでのあいだ、どこかでひっそりと深淵が口を開ける」という紹介文が加わっていました。表紙の絵もいつの間にかかわってました。フレーズもいくつか示されたようです。
「逃げられない。どこまで逃げても逃げられない」に心ひかれます。

 闇は、村上春樹氏の小説で繰り返し出てくるキーワードです。闇でとくに思い出すのは『羊をめぐる冒険』です。
 闇のなか僕は鼠と再会します。
「俺はきちんとした俺自身として君に会いたかったんだ。俺自身の記憶と俺自身の弱さを持った俺自身としてね。君に暗号のような写真を送ったのもそのせいなんだ。もし偶然が君をこの土地に導いてくれるとしたら、俺は最後に救われるだろうってね」

 闇って怖いです。私は暗闇恐怖症です。闇には極力近づきません。はからずも闇と遭遇したときには、怖いのでじっと目を閉じてます。人の背中のどこかをつかんで、へばりつくようにして歩きます。ただただ人のお荷物になってます。一刻も早く闇から抜け出そうとします。闇のなかから誰かの手が伸びてきて、どこかへ連れ去られてしまう恐怖があります。闇のなかでは自と他の区別がなくなり、誰が誰だかわからなくなります。闇って、見ないから怖いのでしょうね。目を閉じているから怖いのでしょうね。わかってはいるのですが、なかなか目を開けることができません。そろそろいい大人なので闇の克服をしたいと思ってます。

『アフターダーク』で僕は誰と出会い、どんな闇と再会するのでしょう。私にとっても闇の克服につながりそうな予感がします。

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2004.09.04

『パレード』

 川上弘美さんの『パレード』を読みました。『センセイの鞄』の続編というか、パラレルワールドというか、センセイとツキコさんのもうひとつの物語です。夏のある日の午後、昼寝後のまどろみのなか、ツキコさんがセンセイにゆっくり物語る「昔の話」です。ほんとうにあったのか、なかったのか、よくわからないような、お伽話のような話です。

 小学校時代、ツキコさんにはゆう子ちゃんという同級生がいて、ゆう子ちゃんはいつの間にか仲間はずれになっていきます。
「だんだん仲間はずれがひどくなっても、ゆう子ちゃんは、絶対に泣いたりしませんでした」。
ツキコさんは「ゆう子ちゃんと目をあわせないようにして、すみっこの席に座っていました」「わたしは無意識のうちにゆう子ちゃんを避けていたのでしょう。どうしていいか、わからなかった。そして、なんだか、怖かった」。

『パレード』を読んでいて私が強く心を揺さぶられた部分があります。
「突然、わかってしまいました。ゆう子ちゃんは、何かをあきらめたのです。悲しいとかくやしいとか、そういうのを捨てていたのです。祖母が息をするのをやめたのと同じように、ゆう子ちゃんは感じるのをわざとやめてしまったのです」。

 私も小学校時代に似たような経験があったので、その頃のことを思い出しました。ああ、あの頃の私と同じだなと。私も決して泣かなかったけれど、周囲には何も言わなかったけれど、そんなふうにしていたことがある。感じるのをわざとやめて、自分の中に滝ごもるみたいにして引きこもって、時が過ぎていくのをじっと待っていたことがある。

「感じることをわざとやめてしまう」というのは、かけがえのない自分を守るための防御本能のようなものだったのでしょう。

 似たようなことは大人になってからもやってました。人間関係でときおり心痛む出来事に遭遇したときには、そんなふうに滝ごもって時が過ぎていくのをじっと待ちました。『パレード』を読みながら私は自分の弱さや強さやらを思い、自分がとてもいとおしくなりました。

 私はサイドストーリーというものがあまり好きではありません。小説の世界はそれ単独でずっとそのまま完結していてほしいと思うからです。『センセイの鞄』のもうひとつの物語『パレード』の存在を知った時には、読むか読むまいかすこし悩みました。せンセイとツキコさんが昼寝したり食事したりする場面は妙にリアルでなまめかしく、こういうことは想像のなかにとどめておきたいと思う一方で、ふたりはこんなふうに淡くはげしく日常を生きていたのだと知ることにもなったので、読んでよかったと今は思ってます。

 なにより『パレード』というすばらしい小説に出会えた喜びのほうが大きいです。『パレード』は単なるサイドストーリーではなく、これ単独で完結した「パレード」の世界なのです。

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2004.09.03

母の顔

母の顔が忘れられない
きょうわたしはこの駅から港までの電車に乗り
知る人のほとんどいない町までの船に乗る
母が改札口でじっとこちらを見ている
母の顔はとてもふくよかだ
切れながの目と薄くひいた眉の形が美しい
笑う顔は女神のようで 怒る顔は神のようで
母が美しくあるのはこのためだ
あこがれて恋いこがれて手にできない美しさ
いつまでも母の顔を覚えておこう

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2004.09.02

オフコースが聴きたいです

季節は夏から秋へゆっくり移りかわっています。
私はオフコースが聴きたいです。
小田和正&鈴木康博のアコースティックな2人時代
ストリングスのメンバーとアンサンブルを奏でてたThree&Two時代
そのころの小田さんの歌がとくに好きです。

いまの季節は
「夏の終り」「潮の香り」「僕の贈りもの」「秋の気配」「ワインの匂い」
アルバムでは「FAIRWAY」 「SELECTION1973-78」を思い出します。
夏から秋へ とても切なく愛しい季節です。

   「僕の贈りもの」 小田和正・作詩・作曲

  冬と夏の間に春をおきました
  だから春は少しだけ中途半端なのです
  このころはなんとなく心楽しくて
  知らないうちに誰かを好きになったりします
  それでも好きな人ができなかった人のために
  この歌は僕からあなたへの贈りものです

  夏と冬の間に秋をおきました
  だから秋は少しだけ中途半端なのです
  このころはなんとなく心さみしくて
  知らないうちに誰かとすきまができたりします
  それで好きな人と別れた人のために
  この歌は僕からあなたへの贈りものです

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2004.09.01

2学期最初の日

きょうから9月。2学期ですね。2学期は長いです。
まるまる4カ月もあります。気が遠くなりそうです。
運動会、文化祭、合唱大会、修学旅行、陸上大会、その他もろもろ
なにかと行事が多かったです。。
2学期の学級委員さんはなにかと大変ですね。
(私の母校では学級委員のことを級長と呼んでました。)

1学期に比べて2学期はクラスのみんなも打ちとけて
和気あいあいとした雰囲気がありました。
2学期は恋の花咲く季節でもあって、
みんなの心がざわついて、人との距離がぐんと近くなる時期でした。
教室全体の親密感が心地よかったです。

9月1日、みんなが集まる2学期最初のざわさわとした教室を思い出します。

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自由研究

夏休み絵を描く人と本を読む人と旅して自由研究

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