わがまま
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私もいよいよ発症したみたいです。花粉症。それも5月限定の。思えば去年もそうだった。あれはGW明け頃だったか突然くしゃみが出て、目がむず痒く鼻水ぐずぐず喉がいがらっぽくなって微熱も少々。風邪の初期症状かと思ったけど風邪には至らず。おさまったと思ったら、また数日後に同じ症状が出て、またおさまる日々。私はずっと花粉症と無縁で生きてきたから花粉症は一生大丈夫と思っていたのだけれど…。5月に花粉症なんて季節外れだし、去年の5月に限っての突発的症状だと思っていたのだけど……。今年も5月になると去年と同じ花粉症らしき症状が出てきた。思い当たるに4月の終わり頃から戸外に白い浮遊物がたくさん漂っているのを目撃していて、あれは何なのかと不思議だったが、その謎が解けた。きっと私はあれ(カモガヤか?)に反応しているのだろう。五月雨、五月晴れ、ヘイフィーバー、神様はいろいろなレッスンを私たちに与えてくださる。風薫る五月ラスト・ワン・ウイーク。それでもなおいとおしく楽しんでいきますね。
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緑の大庭園で初の撮影実習?!先生に見倣えと皆さん一斉に同じものを同じように撮り始めて、ああ私は集団行動が大の苦手だと改めて認識しました。で、ひとりはぐれて単独行動。で結局、大庭園内で道に迷って心寂しくなって、ここに咲いていた花を見つけました。あの角とあの角を曲がったら会えるかななんて、思いは想像を越えて、どこまでも花咲いてゆくんですね。最後はチームの皆さんとも会えてほっとしました。チームもいいものですね。最近の私のメインテーマはチームワークです。
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アイム・フォレスト・ガンプ。『フォレスト・ガンプ』は大好きな映画。素直に心が洗われる。特に好きな場面が2つあって、その1つが、ダン中尉が神様と仲直りするシーン。映画の後半も後半、ダン中尉は海に飛び込み、その感触を確かめ味わうように泳ぎ漂う。この時「ダン中尉は神様と仲直りしたようだ」と語るのはガンプなのか、実は神様自身なのか。この場面を見るたびに私は思っていた。ダン中尉、神様と仲直りできてよかったねと。そしてこの私は一体いつ神様と仲直りするのだろうか。そんな日は私には永遠に来ないのではないか。いや来てほしいと。
この4月後半も後半のある日ある時、ああ私も神様と仲直りしたんだと心から思えた瞬間がありました。その時の感触・感覚は今もじわじわと私の中で続いています。神様はずっと私を見守り、私と仲直りしようと手を差し伸べてくれていたんだなと。
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今年の朗読発表会には星新一氏の『ボッコちゃん』を読みました。淡々・棒読み調の私には最適なのではないかと3カ月前に決めました(朗読を学んでいるにも関わらず私は朗読調が大苦手大嫌い)。『ボッコちゃん』については3年前に記事を書いています。ここへ来てこの私が人前で読むことになろうとは夢にも思わなかった。未来はほんと生きてみないと、わからないです。
3カ月間毎日ちょっとずつ練習していったのですが、私、日を追うごとにボッコちゃんに感情移入していって、ボッコちゃんの声に感情がこもっていってしまいました(3カ月前の最初に朗読した時が一番リアルにボッコちゃんだったように思う)。ボッコちゃんはロボットのカウンターレディだから、あくまで淡々・そっけなく・つんとしていていいというのに、何か映画のA.I.みたいに読みが変化していった。
でも思う。確かにボッコちゃん、頭は空っぽに近く感情を表すことこそしなかったが心はあったのでは?そもそもボッコちゃんはカウンターレディとして作られたのではない。人間の勝手な都合でカウンターに置かれただけ。ボッコちゃんはどこにいてもボッコちゃん。
さらに実は私この4月から某コーナーのカウンターに立つことになりました。いわゆるカウンターレディとしてではないのだけれど。できるかな、ボッコちゃんみたいにその役をやり果せるかしら。今からはらはらどきどきわくわくしています。
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きょうは春分 もうすぐ満月。今このタイミングで。
出来たら全部叶えたい。my wish, my best。
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1年9カ月連れ添った私のカメラ、修理のため2月末から手元を離れています。カメラあってもなくっても私と思っていましたが、いざカメラがなくなると頼りない感じがして、いつもの私ではないような気がして、特にカメラなしの週末には手持ち無沙汰・手ぶらの散歩ってこんな感じだったっけかと奇妙不思議な喪失感覚の中にいて少々戸惑っていました。でもやがてカメラなしの私にも慣れてきて、やっぱりカメラあってもなくっても私です。
そんな弥生三月、私の好きな写真、写真家、写真集を記しておきます。初めて植田正治さんの写真を見たのは、去年の写美だったのか、いやもっと前だったか。昭和の写真展か何かで、全体の写真群の中で写真家の一人として植田さんの写真を見て通り過ぎ、それが私の記憶に残っていたのでしょう。その後、図書館で『植田正治 私の写真作法』を手にとり見覚えある写真だと思い出し、本を読んでいくうちに植田さんの写真の全体が見えた気がして、その写真と文章と人と世界に引き寄せられました。ああ、私が出会いたかったのは、出会いたいのは、ナチュラルポーズのこういう写真なんだなと。
私は押しつけのメッセージは好きではない。窮屈も嫌、不自由も嫌。私は風通しのいい空間世界が好き。自然の意図が感じられる写真が好き。伝えようとしなくて伝わってくる写真が好きです。
ところで鳥取砂丘へは行ったことありますか。私は20数年前の夏に行きました。植田さんの写真を見ていて、もう一度行きたくなりました。ポーズとりたくなりました、ポーズ撮りたくなりました。
その日のためにも私のカメラ、今どこ行ってんだか、どうか無事で帰ってきておくれ。
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私の実質ネットデビューは2003年7月27日。HPを作ってアップロードしました。名前を記したトップページ1枚あればそれでいいと思って始めました。「ここは私の内と外をつなぐページです!」と書きました。Webという広大な宇宙の中に私という存在を記したかったからです。ただただ、私はここにいるよという旗をホームベースに立てたかったのです。その後2003年12月3日に、その中の1コンテンツであったchiiko通信をブログでも書くようになり、やがて本家のHPは終了し(何の予告もなく消しました。事後報告もせず。リンクいただいた方、済みませんでした)、そしてchiiko通信が今も続いています。その時々意味はわからなかったけれど、漠然と信じるものがありました。後から解けてくるだろうと。私が導かれたのも、導いたのも。
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続ける意味がなくなった。次に続ける意味が見つからない。止める理由としては十分なんじゃない?でもここで止める意味はある?そもそも生きるのに意味なんてある?答え出ないまま今日はどんな日私は続けて続く。ああ今日も一日生き終えたと思えるように
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新しい年、始まりました。
今年も独自路線でchiiko通信、どうぞよろしくお願いします。
2008年はmovingの年。どこへ?!外へ。移って動いていきたいです。
年末は穴八幡宮へ行って一陽来復の懐中御守を頂いてきました。
初詣は近くの神社へ行っていつもの御札を頂き、
ちょっと遠くの目青不動へも行って宝暦を頂いてきました。
今年は頂く年でもある予感。
movingと頂く準備万端整えて、今年も予感実行よい年でありますように。
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2007年はグラウンディングの年と年初に言って予感実行、今ここに到着しました。今年はたくさん旅をしました。ひとり旅もしました。西に向かう旅が多かったです。私の旅の定義は、行って帰ってくること。会いに行くのが旅だと思っています。旅のたび送り出し見守り迎えてくれたあなたの存在に深く感謝します。
今年は新たに2つ職を得ました。天職願望はずっとあったけれど、元旦の時点ではその萌芽さえ全く見当たらなかった職業(以前の私なら憧れもしないし決してつかなかったであろう職・役割)への道が青天の霹靂のように目前に閃き現れ、七転び七起きくらいしていたら、その道を何とか歩けている自分に気づきました。ほんと人生どうなるか生きてみないとわかりません。
そして何より特筆すべき追伸は、真夏に枯れた(枯らしてしまった)シクラメンが9月の新月に蘇り、このクリスマスには花を咲かせました。ピンクの蕾もハートの葉っぱもたくさん元気に育っています。2年越しのシクラメン、命は続いていたんですね。
2007年、好きですか。2007年、私は好きです。
last two days いとおしい
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通勤はバス。バス通は高校以来の久々久しぶり。~ギュウギュウづめのバスのなか~郁恵ちゃんの「バス通学」を思い出す。幸い私は大抵座れますけど、座れなくても幸せと思いたい。私のかわりに誰かが座っているのだから。それにしてもバスは時間が読めません。バス通で私が学んだのは、来る時は来るし来ない時は来ない!二台三台続けて来ることもある!待つとはそういうことなんだなと。きょうも元気で行ってきます。
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私もかなりいい年長いこと生きてきたので、自分の適性については十分認識し、それに合った生き方、働き方をしてきました。それが世のためであり私のためでもあるとかたく信じて。でも最近の流れのなかで思うんです。適性なしと判断された(した)先の先の越えたところに私の真の適性があるのではないかと。無謀かな。しかし確かに微かな光はほのみえるんです。越えてみようではありませんか。世のため私のために。
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朗読の発表会で読んだのは辻邦生短編集『花のレクイエム』より「すみれ」(朗読時間7分。前回は5分だったので2分間進化!)。ぼくとアキの物語。10分以内で読める作品をということで4カ月前に選んだ時は、あまりに二人の思いに感情移入し過ぎて、読んでも読んでも涙が出てきて、とても人に読んで聞かせられる状態ではなかったけれど、どうしても読みたかったので、毎日ちょっとずつ練習していって、当日は「慌てない・焦らない・溺れない」と言い聞かせて読みました。この3つの「ない」は私の克服すべき人生のメインテーマ。放っておくと私は肝心なところで慌てて焦って溺れてしまう。最近やっと自覚して自戒するようになりました。朗読は私にとって楽しい修行という感じ。
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すごく個人的でまとまりのないことですけど、書いてみます。私は自分の心には責任を持てるけど、自分の頭には責任を持てないと最近感じたことがありまして、自分の頭のことがとても怖くなりました。知能試験と性格試験みたいなものを図らずも受けることになって、スタートと言われてどんどん問題を解いていく指示がありまして、あなたならどうするみたいな行動問題、計算問題、図形問題、言葉問題等を受けていったわけです。問題を解いている間、心こそフリーズしなかったものの、自分の頭がフリーズする感覚を味わいました。ああ、私の頭はばかなんだ、ばかになってしまった、もともとがばかだったのか、それさえもわからない。でも解いていかなきゃならない状況。これは頭で思ったかといえば、思うに頭と心で思ったわけです。さらに言えば、もしかしたらこんなことを思わなくなるほどいつか私の脳は壊れてしまうのではないか、日々私の脳は壊れているのではないか。事実、人間の脳の細胞は日々死んでいっていると何かの授業で教わりました。心は疾の昔からゆらゆら揺れてフリーズも時々するから自分のこととして自覚し責任を持てるけど(持たなければならないけど)、頭には責任を持てない、自分ではどうにもできないことなのではないかと。なんて書いているのは私の頭?私の心?
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フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展を見てきた(10月12日午前10時-)。フェルメールの絵を見るのは「窓辺で手紙を読む若い女」以来2年ぶり。日常の美しいひとときが深く静かに凝縮された絵に目と心、ぐっと引き込まれる。フェルメールの一瞬一瞬の思いとまなざしが丁寧に幾重にも塗り込められ、私はそれに呼応するように何度も反芻して絵を見る。決して外部には明かされない親密な一場面を拝見している感覚がした。この絵は止まっていない、一瞬ではない、生きている。このまま見ていたら動き出して、この絵の続きが見られるのではないか、確信か幻想かそんな思いに駆られた。フェルメールの絵は美しい謎に満ちている。だが見る者がいくら謎解きをしようとも、描かれた謎は謎のまま永遠なのがいい。だから人は絵に魅せられ、さらに見たくなるのだろう。
昔、朝日新聞で世界名画の旅という連載があったが(今もあるのかもしれない)、『世界 名画の旅 ヨーロッパ北部篇』の本の表紙が、この「牛乳を注ぐ女」だったことに、家に帰って本棚を探して気づいた。この絵に私はずっと前に既に出会っていたのだなと。
ところで私1年に1度ぐらい、振り向いた表情がフェルメールの青の少女に似てると言われます。どこが?誰に?謎は謎のまま。だから私はフェルメールが好きなのだろうな。
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9月、last day。思えば9月は我が人生の剣が峰だった。でも実は10月もまだまだつづく剣が峰との予感もする。それでね、夏の初めに聴いていた一青窈の「月天心」。あの頃は迫りくるほんとうの夏にも人ごとのように現実感がなくて、何とかなるでしょうとのほほんとしていた。それからの夏は音楽をちっとも聴かなかった。ここにいながら別世界へ行っていたから。このCDをなぜ図書館で借りてきたかも忘れてしまった今再び聴いている。一夏分、私も少しは大人になったのか、歌がじわじわ沁みてふるふる震えて、わからなかったことが見えてくる。
月天心って満月の歌だったんだ。ぽっかりあいた穴だったんだ。道理で満月が切ないわけだ。どれがヒット曲なのかも知らないんだけど、どれも好き。「あこるでぃおん」で私が響く。「もらい泣き」では君を想って「サニーサイドアップ・サニーサイドアップ、おやすみ」と囁いてみる。「イマドコ」では私もやっぱり一番目に好きな人と結婚するべきだと同感。「変わりたいよう」って「でかい太陽」なんだと気づく。「月天心」では私の心にも満ちてあいた穴があると確認。「ジャングルジム」のてっぺんでベビースターラーメンを食べてた頃を思い出す。「心変わり」のさよなら、ばいばい、ってつまりは自分のことなんだよね。「アリガ十々」ではもうすぐ母の誕生日だと思い出す。「望春風」、春なんてまだまだ先と余裕を持った。「月天心」、さらりと重くて、やさしくちょっとつねって挙げたい(欲しい)可愛さがあります、一青窈さんの歌たち。
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昨夜の満月はほんとう美しかった。雲から現れ出た月はふるふる震えて律動していて、ああ魂と思った。正確には私はあなたの声を知らない顔も知らない。でも知っているよ、あなたが魂であることは。
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二年越しのシクラメンが真夏に枯れました。初夏には小さな花を咲かせたのに。私が枯らしたんです。ごめんなさい。それは一瞬だったか、永遠だったか。願わくは土に帰ってもう一度咲いておくれ。
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お弁当箱の友として無印で携帯マグカップを買いました。色違いのタイガーのケータイマグにも心引かれたけど、お弁当箱とのコーディネートを考えて無印に決めました。保温保冷機能が素晴しく飲み心地も良好です。(ペットボトルも浪費しなくて済むので、もっと早くに買えばよかったです。)これっていわゆる昔の水筒?ということで、思い出すのが子供時代のマイ水筒。赤いチェック柄の肩かけ式で、当然保温も保冷もついてなくて、夏の暑い日には麦茶に氷を入れて持たせてくれました。シンプルイズ懐かしい。
それで追伸。7月に始まったお弁当生活も今日で前半終了です。体はもう完全にバテバテだけど意識は気持ちよく朦朧としていて夏のランニングハイ。まだ走れている私がいます。この夏、完走できますように。皆さんも残暑、どうか元気でお過ごしください。
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いきなりですが蟹座と牡牛座の相性は友達以上恋人未満家族超越。まあ蟹と牛なので歩く速度もリズムも違ういますし何かちぐはぐでこぼこしている。でもいつも気がつけば隣にいたりして。縁が深いのでしょうね(けれど至ってライト。波長は合っている?)。住んでいる世界は確かに違う生きている世界はひとつとしてということかな。それできょうは蟹座の新月です。太陽も蟹座にいるのでダブルで蟹座。はっきりいって蟹座の人の夢は私には到底わからない。でも蟹座の夢は叶えてあげたい、叶えてほしいと心から思います。蟹座の人みんなに等しくおめでとう。きょうは蟹座の願いを書き連ねます。
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UFOを見たのは一度。子供の頃、夕方ふと家の2階から西の空を見ると山の上にオレンジ色の物体がいて、やがて垂直にするすると上っていって途中で空に消えた。ああこれがUFOというもの?これはほんとうだと思って親にも誰にも言わなかった。ほんとうのことは口に出すと嘘になってしまうと思ったからだ。UFOとは未確認飛行物体。不思議と怖くなかった。ただただうれしかった。漠然とだけど時を経るに従ってこれはサインだと感じた。いつかきっと会えるという。そして今、夢見る頃を過ぎても私はそう信じている。
で追伸。七夕どうでしたか。七夕の夜、私は西の方にいて私の上空、晴れて星が見えました。あれは彦星だったか織姫だったか。いまだ未確認だけど。
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7月が始まった。ジューン、ジュライ、オーガスト。夏はこうして夏になっていくんですね。夏の車輪は何ともダイナミック。私もこの夏、動いていきます。
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