2008.03.28

『ボッコちゃん』ふたたび

ボッコちゃん今年の朗読発表会には星新一氏の『ボッコちゃん』を読みました。淡々・棒読み調の私には最適なのではないかと3カ月前に決めました(朗読を学んでいるにも関わらず私は朗読調が大苦手大嫌い)。『ボッコちゃん』については3年前に記事を書いています。ここへ来てこの私が人前で読むことになろうとは夢にも思わなかった。未来はほんと生きてみないと、わからないです。

3カ月間毎日ちょっとずつ練習していったのですが、私、日を追うごとにボッコちゃんに感情移入していって、ボッコちゃんの声に感情がこもっていってしまいました(3カ月前の最初に朗読した時が一番リアルにボッコちゃんだったように思う)。ボッコちゃんはロボットのカウンターレディだから、あくまで淡々・そっけなく・つんとしていていいというのに、何か映画のA.I.みたいに読みが変化していった。

でも思う。確かにボッコちゃん、頭は空っぽに近く感情を表すことこそしなかったが心はあったのでは?そもそもボッコちゃんはカウンターレディとして作られたのではない。人間の勝手な都合でカウンターに置かれただけ。ボッコちゃんはどこにいてもボッコちゃん。  

さらに実は私この4月から某コーナーのカウンターに立つことになりました。いわゆるカウンターレディとしてではないのだけれど。できるかな、ボッコちゃんみたいにその役をやり果せるかしら。今からはらはらどきどきわくわくしています。

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2008.03.17

私のカメラ

植田正治の世界 (コロナ・ブックス 136)


僕のアルバム


植田正治 小さい伝記



植田正治 私の写真作法

1年9カ月連れ添った私のカメラ、修理のため2月末から手元を離れています。カメラあってもなくっても私と思っていましたが、いざカメラがなくなると頼りない感じがして、いつもの私ではないような気がして、特にカメラなしの週末には手持ち無沙汰・手ぶらの散歩ってこんな感じだったっけかと奇妙不思議な喪失感覚の中にいて少々戸惑っていました。でもやがてカメラなしの私にも慣れてきて、やっぱりカメラあってもなくっても私です。

そんな弥生三月、私の好きな写真、写真家、写真集を記しておきます。初めて植田正治さんの写真を見たのは、去年の写美だったのか、いやもっと前だったか。昭和の写真展か何かで、全体の写真群の中で写真家の一人として植田さんの写真を見て通り過ぎ、それが私の記憶に残っていたのでしょう。その後、図書館で『植田正治 私の写真作法』を手にとり見覚えある写真だと思い出し、本を読んでいくうちに植田さんの写真の全体が見えた気がして、その写真と文章と人と世界に引き寄せられました。ああ、私が出会いたかったのは、出会いたいのは、ナチュラルポーズのこういう写真なんだなと。

私は押しつけのメッセージは好きではない。窮屈も嫌、不自由も嫌。私は風通しのいい空間世界が好き。自然の意図が感じられる写真が好き。伝えようとしなくて伝わってくる写真が好きです。

ところで鳥取砂丘へは行ったことありますか。私は20数年前の夏に行きました。植田さんの写真を見ていて、もう一度行きたくなりました。ポーズとりたくなりました、ポーズ撮りたくなりました。

その日のためにも私のカメラ、今どこ行ってんだか、どうか無事で帰ってきておくれ。

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2007.11.30

『ドリームエイジ』

にしむくさむらい。11月は長く濃かった。あなたはどんな11月でしたか。

R001586510月1日都民の日に東京都写真美術館で出会った長野重一氏の『ドリームエイジ』(1978年刊)。この2カ月、私の心の中にあり続けた写真集だ。写真に映し出された人々の顔や風景を見るにつけ、黄金の1960年代、日本人にとっての夢は決してバラ色一色ではなく、重くダークなものだったのだと伝わってくる。親が私たちを生み育てた時代。写真集を見ながら思ったのは、今も昔も両親は夢という言葉を使わない人たちだなと。私もこの頃、夢とはそう言わなくなった。夢は夢として今は一つ一つの目標を生きていこうと思っている。

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2007.11.01

『花のレクイエム』 「すみれ」

花のレクイエム (新潮文庫)朗読の発表会で読んだのは辻邦生短編集『花のレクイエム』より「すみれ」(朗読時間7分。前回は5分だったので2分間進化!)。ぼくとアキの物語。10分以内で読める作品をということで4カ月前に選んだ時は、あまりに二人の思いに感情移入し過ぎて、読んでも読んでも涙が出てきて、とても人に読んで聞かせられる状態ではなかったけれど、どうしても読みたかったので、毎日ちょっとずつ練習していって、当日は「慌てない・焦らない・溺れない」と言い聞かせて読みました。この3つの「ない」は私の克服すべき人生のメインテーマ。放っておくと私は肝心なところで慌てて焦って溺れてしまう。最近やっと自覚して自戒するようになりました。朗読は私にとって楽しい修行という感じ。

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2007.07.05

『こわれない風景』吉村和敏

こわれない風景東京ミッドタウンにて吉村和敏さんのトークショー。近年稀に見る爽やかで真っ正面な写真と語りの方でした。僕は旅に出て雨だとうれしくなるんです。雨が降ると次は必ず晴れるから、と。心が響いてパチリと撮りました、とも。風景を心でとらえて心で伝えようとする人、風景が真っ正面な心で伝わってくる人。その写真と人となりが一目で好きになりました。1時間ですべてがわかるなんてあり得ないだろうけど、1時間でわかること一瞬でわかることあるんです。『こわれない風景』は吉村和敏さんの写真と文章集です。これからもたくさんの心の風景、届けてください。

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2007.05.10

『あらしのよるに』

アニメ絵本 あらしのよるに朗読の勉強会で『あらしのよるに』を分かち読みした。私は地の文を担当。子供に聞かせるような感じでと先生から言われたので、私は自分のなかのメイとガブに読み聞かせるように読んだ。『あらしのよるに』、あらすじは何となく聞いて知っていたけど、私は今回初めて読んだ。

メイはヤギでガブはオオカミ。ある嵐の夜に真っ暗な小屋の中で出会う。互いの姿は見えない。鼻風邪をひいていて互いの匂いもわからない。わかるのは互いの声だけ。どこに住んでいるかとか、どんな子供時代を過ごしてきたかと話すうちに、「なんか、わたしたちって似てますね」と、フィーリングカップル1対1のようなシンパシーを感じ合う。と同時に私たちはヤギとオオカミなのかもしれない、という危ういテレパシーも送り合う。

やがて嵐がやんで、メイとガブは明日再びこの小屋の前で会う約束をして別れる。互いの顔もわからぬままに。合言葉は「あらしのよるに」。

勉強会で読んだのは、ここまでだったが、この絵本はまだまだ続く。出会ってはいけない二人が出会うべくして出会ってしまった、あらしのよるに。やっぱりこれは禁断の愛の物語なのだろうか。あるいはツインソウル物語。

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2007.04.18

『転生』志賀直哉

何度も朗読していて気づいた。これはおしどり夫婦の物語なのだと。

癇癪持ちで口やかましい夫と、要領悪く気の利かない妻が、喧嘩しいしい愚痴を言い合いながらも添い遂げ、今度生まれ変わってくるときはおしどりになろうと約束してこの世を去る。

夫は無事おしどりに生まれ変わったものの、忘れっぽい妻はなんとキツネに生まれ変わってしまう。さて転生再会の果て、腹をすかせた妻がとった行動とは……。

そもそも生まれ変わっても再び出会ってもう一度結ばれたいと互いに願うのだから、二人は相思相愛に違いない。結婚とはつまりは妻が夫を食い尽くすことにほかならない。夫もそれで本望ではないか。『転生』を読みながら私はそういう思いに至った。

ひょっとして私もそう約束してこの世に生まれてきたのだろうか、次もそう約束して生まれ変わってゆくのだろうか、などと自問自答させられた『転生』は、短いながらも読みごたえのある作品です。

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2007.03.19

手相を書く

どうか笑わないでください、というかどうぞ笑ってください。最近私、手相を書いてます(掌に)。『ゆほびか4月号』の「手相を書く」と願いがかなう、という記事にえっ、うそほんとうと笑いながらも信じてみたく、その夜即実行。記事では金(夜)銀(昼)の水性ペンがベターとあったけど、まずは手持ちの青色ラメ入りボールペンで書いてみました。

私の手相を紹介すれば、左右とも線は太く濃く、縦皺横皺ほとんどなく一見シンプル。しかしよくよく見ると、感情線と頭脳線が2つに分かれている、運命線が見当たらない、分類不明な線があるといった少し変な手相の持ち主。今回手相を書くに当たって久々まじまじ手を見て思ったのは、やっぱり手相は変わるんだということ。この手の中に私がいるんだなということ。

今日は魚座の新月です。日食も起こります。
どうか笑わないでください。どうぞ笑ってください。

ゆほびか 2007年 04月号 [雑誌]

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2007.03.13

『私の作ったお惣菜』

私の作ったお惣菜宇野千代さん満89歳の時の料理語り本。宇野さんは幾つになっても初々しい方だった。岩国鮨、大平、鯛そうめんといった生まれ故郷岩国の名物料理から始まり、カレー・ライス、梅干し入りのチャーハン、白玉ずんだ、極道すきやき等々の絶品惣菜が実演風に紹介されている。

宇野さんが手際よく心を込めて作り出す料理はどれも彩り豊か可愛くモダンで、宇野さんそのもの。料理のことと一緒にその時々のご自分の身の上話も語っていて、それがまた絶妙の味付けとなっている。料理は日々愛の告白なんですよと宇野さんが語りかけてくる本だ。

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2006.12.10

そうじする気になる本

3日で運がよくなる「そうじ力」大掃除の季節。日頃からこまめに整理整頓・掃除していれば中掃除ぐらいで済むのにと毎年思う今日この頃。3日で運がよくなる「そうじ力」 舛田光洋著を読んだ。ハウスクリーニングのプロが書いただけあって、その経験に基づく理念と実践方法が押しつけがましくなく書いてある。むくむくとそうじする気がわいてくるコーチング本(この人生までもそうじしたくなる)。これで理論は完璧、あとは実践のみということで、昨日は冷蔵庫の掃除をしました。

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2006.11.11

『朗読者』

朗読者『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク著/松永美穂訳)を私も読んだ。言ってしまえば始まりは君とぼくの局地的な恋物語だったが、後になってはそれがただならぬ深遠な愛だったと気づく。君とぼくの心の奥底をのぞきこむような小説だ。それはすなわち私とあなたの心なのか。恋愛は二人にしかわからないことも多いが二人にもわからないことがほとんどで、二人は謎を埋めるように交わり、私はその謎を追うように一気に『朗読者』を読み進めた。

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2006.11.01

イメージング美肌ミラー

この前の新月の日に「ゆほびか」という健康雑誌を買いました。ふだんなら雑誌は書店での立ち読みか図書館での閲覧で済ませるところ、イメージング美肌ミラーという付録がどうしても欲しくなりました。「眺めるだけで肌・顔が若返る」という言葉を信じて実践してみたく。これには「素肌美人」と「若々しくハリのある肌」2つのミラーがあり、それぞれのミラーに映る2つの顔は微妙に違っていて、私であって私でないような私が映し出されます。あらあら不思議。効果の程はさておき、気分はテクマクマヤコン テクマクマヤコン。私は人を映す鏡?

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2006.10.13

ほぼ日手帳2007

私は切羽詰まるとろくなことをしないので、早めにのんびりそろそろ来年の準備。ということでほぼ日手帳2007を横浜ロフトで買いました。手帳本体、カバーとも2006年版とほぼ変わらないながらも微妙に変化しているところが気に入って、来年もこれでいこうと決めました。

赤のナイロンカバーは1年使ってもまだ十分健在なので、本体レフィルのみ購入。新ナイロンカバーのレッドは2006年版よりさらに深みがまして素敵ですし、ブルーにも心引かれます。何しろ使い勝手がとてもいいので、ブックカバー用に買い増ししたくこれは思案中です。

この1年間ほぼ日手帳を使って再認識、再確認したのは、手帳なんて結局は、あってもなくても、つけてもつけなくても大勢に影響はないということ。それだけに使いたい時にはすぐ手にとって気分よく使えるよう、さりげない余白と存在感があってほしいということです。

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2006.08.06

『生きている穴』

             Ana
私が見た木の葉っぱも穴だらけだった。私もどうかしているが、世の中もどうかしている。怖い話だ。小松左京氏の『生きている穴』。ある日家の壁に穴があく。やがて自分にも穴があき、やがてみんなにも穴があいていく……。シーンとするラストは虚無のグラウンディング。この話、かなり怖いので、読むなら真夏の真っ昼間がいいと思う。
             Grounding

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2006.07.10

『蜘蛛の糸』

               Kumonoito
   海が見たくて海に行ったら突堤の先に蜘蛛の糸を見つけた。

思い出すのが先月、朗読講座で読んだ芥川龍之介の『蜘蛛の糸』。地獄の空へ垂れてきた一筋の蜘蛛の糸。それはお釈迦様が一人の男を救わんとして天上から下ろしてくれたものであったが、自分だけが助かりたいと男が思った途端に、糸はぷつりと音を立てて切れてしまった。教訓めいた話や説教くさい話には反発してしまう私だけど、芥川のこの話は素直に心にしみ入り、深く首を垂れたのでした。

               2line
   最近、青空に出会えない。プリーズ、青空、カム・バック。

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2006.05.19

「夏の靴」in『掌の小説』

Tenohira朗読講座へ行ってきた。文学作品を分担して読み、それをマイク録音して後でみんなで聞き直す。全6回で第1回のテキストは川端康成氏の「夏の靴」。朗読は国語の授業以来で、自分の声を録音するのも聞くのも私は初めて。ささやかながらすごい経験だった。

「夏の靴」は『掌の小説』収録のまさに珠玉作品。冬なのに夏の雰囲気が感じられる不思議な小説だ。なぜ少女は靴を履いていないのか、どこから来てどこへ行こうとしているのか、読んでも読んでも真相はわからないけれど、読むごとに少女の気持ちが伝わり胸を打つ。

私の朗読分担は最後の部分。無我夢中で読みながらも最後の最後、夏の少女の気持ちとその光景が一瞬にして手にとるように見えたようで、涙ぐみそうになった。それでも何とか読み終えられたのは、夏の少女がそこにいて助けてくれたから?

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2006.04.13

『ビートルズ詩集(一)』

Book実家から持ち帰ったもの3つ。14歳の自叙伝懐かしい未来写真、もう一つは『ビートルズ詩集(一)』。兄の本棚を眺めていたらふと目にとまり「これ、もらって帰ってもええ?」と聞くと「ええよ」とあっさり言ってくれた。小さな頃、兄はやたらと私にビートルズの曲を一緒に聴かせたがった。今はもうビートルズのことは話さなくなったけれど。

訳詩は片岡義男さん。あとがきには「日本語訳は無色で透明なものに仕上がるよう心がけた」「無色透明な訳を心がけたのは、無色透明で時として無味無臭ですらあることが、ビートルズのひとつの資質であるように、すくなくとも訳者は感じているからだ」とある。無色透明は私のメインテーマの1つなので、この符合にびっくりした。

「ヘルプ!」の訳詩が昨夜はとくに心に響いたので一部記しておく。

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2006.04.06

『袋小路の男』


袋小路の男

『袋小路の男』絲山 秋子著

あなたと出会ったのは高校一年生のとき。あなたは袋小路の奥の家に住んでいて、今はエグジット・ミュージックに勤めている。あなたとは出会ってから12年間ずっと恋人未満家族以上。かといって決して友達とは言わないし、決して友達ではない。あなたは誰とも一緒にしたくない特別な存在。

絲山 秋子さんの『袋小路の男』は、文章も描かれた世界もリアルでありながらべたべたしていなくて、私好みでしっくりきた。今の私はリアルだろうかべたべたしていないだろうかと自ら問い直しながら読んだ。思ったのは、私も袋小路のひとが好きだということ。そして私も袋小路のひとだということ。袋小路もいいものだと思う。追いつめたり追いつめられたりしない限り、出入り自由の心地よい空間だから。

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2006.03.22

『博士の愛した数式』


博士の愛した数式

博士の愛した数式 小川洋子著

1年前に図書館で予約した本、到着しました。私には数学や細かい数式の話はよくわからないけれど、博士の愛したもの、博士が生きて見て感じた世界、博士を愛した人たちのことを知りたくて、一気に読みました。一見矛盾だらけのこの世界も無矛盾なのだと、やさしく証明してもらったような読後感です。

博士の記憶は80分しかもちません。でも記憶って何でしょう。記憶は消えていっても思い出は残るし、博士の愛したものは永遠で、博士を愛した人たちの心のなかに博士は永遠に生き続けるのです。

博士のてらいのないふとした言葉がさらっと心に響いて残りました。
「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルートだ」
「理由は、神様の手帳だけに書いてある」
「続けて」「君が料理を作っている姿が好きなんだ」

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2006.03.17

『カツ代ちゃーん!』

カツ代ちゃーん!
『カツ代ちゃーん!』 小林カツ代著

自叙伝らしくない、とっても素敵な自叙伝です。カツ代ちゃんはいかにして小林カツ代さんとなりしか。ご両親のこと、ご自分の子供時代から思春期のこと、結婚を経て料理研究家になっていく様子が、テンポよい語り口調で書かれています。料理家になる前は漫画家、小説家志望だったとのこと。笑顔の伝わる生き生きとした文章です。

カツ代さんは小学校時代「内気なこいちゃん」で、体が弱くいじめられたりつらいこともあったらしく、学校へほとんど行かない子供だったそうですが、周囲の人々の100%OKの愛に包まれて、のびのび自由に育っていきます。自叙伝とは、自分を育ててくれた人や自然、命への感謝の気持ちを書くことなのだと読んで感じました。

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2006.01.19

『思い出トランプ』

地味な正月を過ごしたので、いまだ私のなかで正月気分がだらだら坂のように地味に続いています。年末年始の冬休み、とくに正月休みはすることがあるようでないようで、いつも夢のなか状態で眠たくて、本を読むとまた眠たくて、ほんと夢心地の日々でした。

向田邦子さんの短編集『思い出トランプ』。読むのは初めてのはずなのに、場面場面が既視感をもって思い出されました。おそらくドラマや随筆で向田さんの世界を既に見たり読んで知っていたからでしょう。大人のずるさや弱さ、つらさ楽しみ、喜び悲しみが作品の1つ1つに冷静淡々と描かれています。

主人公は男と女。女の視点、男の視点どちらもあって、どちらが正しいとも悪いとも言えないものだ、と読んでいて感じました。向田さんの人を描く視点がどちらへもぶれていなくて、根源的に温かいからだと思います。『男眉』はドラマで見た記憶があります。私も20歳頃までは「ほうって置くとつながってしまう」眉でした。「濃い眉」ではなかったけれど。人生はこれまでもこれからも思い出トランプ。新年いっとうはじめに読んでの感想です。

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2005.12.21

フラダンス

フラダンスのはじめ 伊藤彩子著
フラダンスのはじめ
師走なのにあまり師走らしくない私。今までダンスには特に興味も関心もなく生きてきたのですが、この秋、突然嵐のように「私もダンスを踊りたい」と思うようになりました。私でも楽しんでゆっくり踊れるダンスはないかしらとふと思いついたのがフラダンス。それで『フラダンスのはじめ』という本を読み始めました。表紙の写真がかわいいです。こんなふうな格好してみたいな、とかいろいろイメージトレーニング。

フラ・パラダイス
フラ・パラダイス
その次に買ったのが『フラ・パラダイス』というDVD。見ているだけでも楽しいけれど、見ているだけではつまらないよと誘われて、自然に心と体が踊り出します。今は好きなときに映像を見ながら自宅練習中。マウイ島のラハイナにある愛しい我が家を歌った「プア・マナ」という曲がいい感じです。来年、暖かくなって春になってもこの気持ちが続いていたら、フラダンス教室へも行ってみたいと思っています。

今朝、ずっと咲かないでいた白いシクラメンの花が咲きました。これはよい知らせ。どうもありがとう。きょうもよい一日でありますように。

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2005.12.06

『こころの底に見えたもの』

こころの底に見えたもの
『こころの底に見えたもの』 なだいなだ著

心の問題について悩んでいた先月のある時、書店で遭遇、題名に惹かれて読むことに。『心の底をのぞいたら』の続編でした。読む順番を間違えたかも。でも私は本を後書きから読んだりすることもあるので、出会ったが吉日そのまま読み進めることに。心理学を学ぼうとする人たちに向けて、心理学誕生の頃のあれこれについて書かれた本です。人の心を見るとは、すなわち自分の心を見ることなのですね。

私はるか昔の大学の学科選択の時、心理学科もいいかなと一時期考えたことがありました。けれど心理学には統計が必要だとか私の点数では足りないだとかいろいろな理由をつけて結局、心理学科には進みませんでした。あきらめたというよりも、人の心を知るのに私には心理学経由ではなく別の方法が向いているのではないか、別の道を行こうと、わけもわからず決めたのです。ターニングポイント。

しかしいまだに精神科医と心理学者の違いもよくわかっていない私。ということで次は『心の底をのぞいたら』を読もうと思っています。

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2005.10.24

ほぼ日手帳2006

そろそろ来年の手帳の季節。
私は2006年、ほぼ日手帳でいくことに決めました。
ほぼ日ストアで買おうか買うまいか、組み合わせの選択を迷っているうちにいつの間にか販売終了となっていたのですが、ロフトで店頭販売されているとの情報を得て、買ってきました。

(12月にほぼ日ストアで追加販売もあるそうです。)

(もともと私は紙媒体のカタログ通販には抵抗がなく、かなりの通販愛好者なのですが、ウェブ通販となるといつも二の足を踏んでいた、いわゆるセシール世代。)

ほぼ日手帳、いい感じです。まず手にしたときの感触がやわらかいです。なおかつ手帳としての機能はシンプルに充実していて正統派。なのに遊び心もあって、楽しんで使ってほしいという作り手の謙虚な気持ちが伝わってきます。月の満ち欠け情報も載っています。書き込むフリースペースもたっぷり1日1ページ。

カバーの色と素材も気に入りました。私はナイロンの赤を選びました。革カバーのほうはマリンブルーに心ときめきました。私の大好きな色、ジェミニの色。私はターコイズブルーと呼んでいます。来年はナイロンカバーにもぜひこの色を揃えてほしいです。

これで今年やるべきことが1つ楽しく片づきました。来年はまだまだ先のことなので、今は今のことにがんばっていきまっしょい。

朝、目覚めて空を見上げたら、夜明け前の天頂にもうすぐ半分の月とオリオン座がきらめいてました。きょうもよい一日でありますように。

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2005.10.11

『あなたが私を好きだった頃』

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『あなたが私を好きだった頃』 井形 慶子著

なんとせつない題なのでしょう。読まずにはいられないと思いました。本の扉を開くと「あの人があなたを苦しめているのではなく あなたの心があなたを苦しめている」と書いてあります。これは井形慶子さんが心して書いた本なのだから、私も心して読もうと思いました。

人を好きになると、相手の心が知りたくなります。相手の心のなかに入っていきたくなります。相手の気持ちが見えたり見えなかったり、もどかしくて苦しくて、聞けばいいのに聞けなくて、聞いたら聞いたでますます見えなくなって、自問自答がはじまります。男と女はなかなかわかりあえないものですね。だから惹かれあうのだと思います。

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2005.09.14

がんばっていきまっしょい

きのうの「がんばっていきまっしょい」は最終艇。この物語は父と娘の葛藤&愛情物語でもあると感じました。

悦子は卒業後の進路として東京の写真専門学校入学を決意しますが、父の同意を得られないまま、さいごの春休み、船に乗って故郷を離れる場面で終わります。見送りには来ないはずの父の姿を港に見つけたとき、悦子と父の心は強く通い合ったのだと思います。

港で自分を見送る人を船の中から見送る気持ち、私も何度か味わったことがあります。陸と人がどんどん遠ざかり小さくなり、それさえも涙でかすんで見えなくなるのです。

悦子と私の共通点の1つは事後承諾なところ。私も進路については親にほとんど相談なしで決めて結果報告、了承を求める娘でした。

私が高校を卒業したのははるか昔のこと。その後、同窓生とは次第に会わなくなっていきました。あの場所で一堂に会することはもうないでしょう。けれど今でも心に浮かぶみんなのことは、ひとりひとりが私の希望の光となっています。みんなどこかでがんばっている。私は今ここにいるよ。がんばっていきまっしょい。

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2005.09.12

『最後の地球人』

私も選挙に行きました。投票所は徒歩5分のところにある中学校。いつもは固く閉ざされている校門もこの日は開放されています。校内に入れるのが選挙の時のささやかな楽しみです。投票を済ませた後は、せっかくの機会なので、運動場を突っきってゆっくりと反対側の入り口まで歩き、すこし遠回りして家まで帰りました。

思うに、もし私に子供がいれば、この中学校はわが子の学び舎で、投票所へのこの道はわが子の行き帰りの道になっていたはず。人生にイフはないというけれど。いくつかのイフの視点を持つのは、何事においても必要なことだと思います。

星新一氏の自選短編集『ボッコちゃん』のさいごは『最後の地球人』というショート・ショート。地球の人口は増えつづけ、あるとき人類は完全に地上にみちあふれ、どうにもこうにもならなくなり、人々は心の底で「もうたくさんだ、助けてくれ……」と声をあげ、全人類ははじめて同じ反省と祈りを持つに至ります。やがて人口の増加は止まり、そして減りはじめ、ついには最後の地球人ひとりになってしまいます。

種はつねに全体最適を求めていくものなのでしょう。最後の地球人が生まれて最初に発した言葉は「光あれ」。やはりはじめにあるのは、言葉と光。私はこの小説のラストに、人間の知恵と神様のはからい、希望の光を感じます。

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2005.08.17

城の崎にて

学生時代、盆明けのこの時期に兵庫県・城崎で二泊三日の文芸合宿をしました。一応のメインイベントが読書会で課題図書は志賀直哉先生の『城の崎にて』。文学を語り合ったというような記憶はほとんどありません。要はみんなと旅して親睦したかったのだと思います。

夏の温泉はいいですね。それも夏の城崎は格別です。浴衣姿で下駄をカラコロと鳴らして外湯めぐり。温泉に入った後、風に吹かれると夏の暑さや雰囲気が心地よく感じられて、ああ、夏だな、やっぱり夏はいいなと心から思えるのです。

夏の山陰もいいですね。このとき行きは播但線で日本海に出て城崎へ、帰りは城崎から山陰線に乗って鳥取砂丘まで行きました。夏の海岸列車は青い空と青い海、緑の木々のなかをとことこと走ります。はるか昔のことなのに今も夏になると鮮やかに思い出す風景です。

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2005.08.11

『甘やかな祝祭』

甘やかな祝祭
甘やかな祝祭

いつかの春の感傷旅行のときに旅先の書店で買って旅の途中で読んでいた本です。いつもは旅に出ても本はあまり読まないのに、このときはふと本が読みたくなって、それも恋愛小説のアンソロジーがいい、できれば甘くない大人の恋愛小説をたくさん読みたいと思い、小池真理子さん・藤田宜永さん選の『甘やかな祝祭』を選びました。

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2005.07.29

岡本太郎さんと太陽の塔

余は如何にして道楽達人になりしかさんから岡本太郎さん関連の記事をトラックバックしていただきました。今週の土曜日曜と岡本太郎さんのことを扱ったテレビ放映が2本あるそうです。

太陽の塔。私は間近で二度見たことがあります。一度目は幼いころの万博会場で。二度目は大人になってからの万博公園で。どちらの時も太郎さんのことをよく知らなくて、ただぼーっと見上げて眺めていただけだったと思います。とくに一度目はその記憶は曖昧で、果たして見たかどうかも定かではありません。もういちど太陽の塔を間近で見て触れて実感したい。できたら中にも入ってみたいです。

さらに太陽の塔。5月に川崎の岡本太郎美術館へ行ったときには15センチのミニチュア太陽の塔を買いました。これもまた、ただぼーっと見上げて眺めています。小さくても太陽の塔は太陽の塔。過去と現在と未来と3つの顔を持つ太陽に日々しずかに見守られている私。

さらに先月のこと千駄木の往来堂書店さんへ1年ぶりに再訪しました。岡本太郎さん関連の本が充実していました。『美の呪力』『青春ピカソ』『日本の伝統』『芸術と青春』『今日の芸術』などなどずらり並んでいて、私は『自分の中に毒を持て』を買いました。そのまま積ん読状態だったので、そろそろ読む時サイン到来かなという感じです。

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2005.07.26

杉浦日向子さん『江戸へようこそ』

私にも憧れの女性がいます。聡明で美しく輝いて今を生きている人。ずっと先の道を歩いて光のように導いてくれる人。杉浦日向子さんはそういう方でした。憧れの人が逝ってしまうのは寂しく悲しいです。

杉浦日向子さんといえば荒俣宏さん。異質だけれども似たもの同士なお二人だったのかもしれません。何も存じ上げない私がこんなことを今になって言うのは失礼かと思いますが、私も異質で似たものに強く惹かれるところがあるので、お二人のことはひとごととは思えないところがあります。出会いは一瞬で永遠で強烈だったことでしょう。

本棚をさがしたら『江戸へようこそ』(ちくま文庫)がありました。やさしく静かに微笑む杉浦さん。私は1990年発行第4刷を持っています。このころ私は東京を離れていたか、ふたたび移り住んできたころで、もういちど東京へようこそと呼んでくれたような本です。いま私は江戸のつづきの東京に住んでいる。もういちど読んでみたくなりました。

杉浦日向子さん、どうもありがとう。やすらかにお眠りください。

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2005.07.24

通販生活

届いたといえば、ことしもカタログハウスから『通販生活ピカイチ事典』が6月末に送られてきました。去年も記事を書いています。ことしはあまり迷うことなくほとんど即断即決、7月の初めに数点注文して、そのうちいくつかの商品がちらほら届いています。(注文時点ですでに在庫薄の商品もあったようで一斉配達にはなりませんでした。)

ロフテーのガーゼはやはりすばらしいです。2年前に買ったパジャマは1着をフルに着回して、ことしはさすがに着用限界を超えてきたので思いきって2着リピート買い。ケットのほうはまだまだ健在で、麻のシーツも健在で、今夏もさらにサラサラさわやかに過ごせそうです。

さらにカタログハウスで愛用しているのがフット楽スリッパ。わが家は全室板張りで、つまりはそれはコンクリートの上を歩いているようなもので、入居直後から足裏や足首がそこはかとなく痛いのが悩みの種でした。このスリッパにしてからは足への負担がほとんどなくなって、ほんと楽。ちょっと高いのが難点ですが(2足で7600円)、ほとんど一日中家で過ごすイエネコな私が丸々4年くらい履けてハッピーだったので、買って後悔はしてません。ということでこちらもリピート買い。

そのほか注文したものもあるのですが、それはないしょないしょということで、私も欲しいものと欲しくないものがだんだん明確になってきて快適・健全な通販生活を送っているなと思う今日この頃です。

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2005.07.21

『小さなお茶会』

私も漫画をたくさん読んで育ちました。祖母が貸本屋をしていたので幼い頃から少女物、少年物、幅広く読みました。『リボンの騎士』は初めて涙した漫画だと記憶しています。小学生になると漫画雑誌を自分で買うようになりました。なかよしよりはリボン、マーガレットよりはフレンドが好きでした。とくに好きな作家は陸奥A子さん、里中満智子さん。 高校生になると私の興味はコバルト・シリーズの世界へと移ってしまい、漫画はあまり読まなくなりました。そのあと唯一好きになったコミックが猫十字社さんの『小さなお茶会』(白泉社刊)です。

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2005.07.02

『がんばっていきまっしょい』

『がんばっていきまっしょい』(敷村良子・幻冬舎)を読みおえました。冒頭からトラウマスイッチ押されっぱなしの小説でしたが、さいごまでがんばって読んで、私のなかのトラウマの大玉小玉のいくつかが、美しい思い出の大玉小玉へと変わっていきました。

私と主人公の悦子。遠く離れたところにいる二人ですが、同じような感覚もどこか持って、あの日々を過ごしていたのだと感じました。それは部外者意識と、ゆるやかなつながりの意識。私は週一文化部の帰宅部生徒で、高校の3年間はとくに何をすることもなく、ただ何となく過ぎてゆき、学校や同級生に対していつも部外者意識を感じていました。けれど得たものは確かにあったと、いまならよくわかります。

友人もできたし恋もした。勉強は落ちこぼれてずっこけたけど、パスももらった、パスもした。あのパスがあったからいまの私がここにいる。「あなたは部外者ではなかったんだよ、ひとつ輪のなかにいたんだよ」と悦子さんに言ってもらった気がします。どうもありがとう。

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2005.06.27

サイン・コサイン・タンジェント

「がんばっていきまっしょい」が今度テレビ化されるそうです。それに伴い原作も文庫化されました。映画「がんばっていきまっしょい」は私のとても大切なノスタルジー映画で、以前に記事も書いています。敷村良子さんの原作を読もう読もうと思っていたけれど、ずっと読まずにいたので、これを機に読み始めています。もう最初から私のトラウマスイッチ押されっぱなしで、読んでいて胸がきゅんとしてどうにも苦しくて、このままどうなることかと思っています。高校を卒業したのはもうはるか昔のことなのに、私にとって高校時代はついこの間のことのようで、読んでいていろいろな光景がフラッシュバックしてきます。

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2005.06.18

あの人ならこういうときにどうするだろう

私はこの現実が好き。この現実を大切にしたい。非現実のふしぎな世界も好きだけれど、それはあちらとこちらを行ったり来たりするのが好きなだけのこと。この現実を大切に生きないことにはあちらへは行けないし、この現実を好きにならないことにはあちらからは戻ってこられない。と思っているから。

『海辺のカフカ』で、星野青年がいまはもうそこにいないナカタさんに向かってこう言います。「これから何かちょっとしたことがあるたびに、ナカタさんならこういうときにどう言うだろう、ナカタさんならこういうときにどうするだろうって、俺はいちいち考えるんじゃねえかってさ。」

ナカタさんは幼いころに頭のなかがほとんど空っぽになってしまったけれど、心はうつろではなく、魂もうつろではなく、いつもまっとうに感じ、まっとうに考え、まっとうに行動した人なのだと思います。そして、自分に与えられた力をまっとうに使いきって生きた人。

私もこれから何かの折に、こういうときナカタさんならどう言うだろう、どうするだろうと、まずはちょっと感じてみよう、考えてみよう、と思いました。ナカタさんに限らず年齢・性別・境遇を越えて、あの人ならこういうときにどう言うだろう、どうするだろうと、自分の道しるべとなるような人と出会えるとうれしいですし、生きていくのが楽になるように思います。もちろんさいごに考えて行動するのは、この私なのですが。

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2005.06.11

『ボッコちゃん』

星新一氏の長編ファンタジー『ブランコのむこうで』。表紙の装丁を新しくしたのを機に新しい読者を獲得し、部数を伸ばしているそうです。そのものに何の変わりはなくても、光のあるなしや光の当たり方によって、まるでちがったものに見えたりしますが、本というのも中身だけではなく、まるごと含めて本、ということなのでしょうか。

我が家にも星さんの本は何冊かあったはずだと書棚をさがしてみるとぞろぞろ出てきました。星さんの小説はまずタイトルがすばらしい。『宇宙のあいさつ』『たくさんのタブー』『妖精配給会社』『妄想銀行』『ひとにぎりの未来』『にぎやかな部屋』『ちぐはぐな部品』『午後の恐竜』…。なさそうでありそうな真実のおとぎの世界を連想させます。

星さんの本の装丁はほのぼののどか、牧歌的な宇宙の光景のようです。『宇宙のあいさつ』はとくに好きです。表紙は和田誠さん。挿絵も描かれています。キュートでとぼけた感じがよい感じ。そもそも宇宙のあいさつって何なのでしょう。受信したいようなしたくないような。

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