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2005.06.10

六月そぼふる雨の日に

六月そぼふる雨の日に傘をさしさし雨中の散歩。梅雨のはしりのような雨だなと思っていたら、関東甲信地方きょう梅雨入りだそうです。雨の季節には本と音楽。きのうは『海辺のカフカ』上巻を読みおえて、きょうから下巻。約2年ぶりの再読。好きな作家の好きな作品は、文章も何もかもすっとこころに溶けこんで、すいすいすらすら泳ぐように読めてしまいます。けれどそのときどきで心にひっかかるものはひっかかり、とどまるものは心にとどまります。音楽にしてもそうですよね。最近、地球も私も少々蓄熱状態のような感じがしてたので、この雨、クールダウンのめぐみの雨になればいいなと思います。

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コメント

こんにちは〜、chiikoさん。
早いですね〜、もう上を読まれたんですか。
自分も今読んでて、第20章ぐらいかな。
ナカタさんが人殺しをする場面、
つらかったです。
ああやって、こうやってというか
戦争は起こるものなのかな〜 なんて考えながら
読みました。
それとまた関連するような部分が有りまして、
図書館に妙な女性解放論者みたいな人が
二人訪ねてくるシーンがあったでしょう。
あそこの部分で、「T・S・エリオットの
〈うつろな人間たち〉みたいなひとたち、
想像力の欠如、空疎な用語、算奪された理想、
硬直したシステム」
という言い方をしてて、そういう人間が
佐伯さんの恋人を殺してしまったのも
そういう種類の人間なんだ。
というところ、考えさせられました。
前のそうやって戦争は起こる、ということとも
なにかすごく関連がありそうなことで、
わかりませんよ、わかかりませんが
ここが一番重要なのかな? なんて思ったんです。
まあ自分の感想なんで。
chiikoさんはどんな感想をお持ちですか?
でも「下」のことは語らないでね。
つまらなくなりますから。

投稿: face | 2005.06.15 12:49

faceさん、こんにちは!
先日ノルウェイの森の記事を書いたので、ノルウェイの森を再読しようかと思ったのですが、それよりも先にカフカのほうを読みたくなって、一気に上下とも読んでしまいました。それで今はノルウェイの森を再読しています。2つの小説、シンクロしているなと思いました。喪失と再生の物語だなって。癒えない傷はないし、傷は癒される時を待っていて、けれど、すべてのものは消えてもなくならないというふうに。
私は戦争のことも暴力のこともよくわからないのですが、カフカのメーンテーマの1つはそれなのでしょうね。私たちはいつでも知らぬ間に加害者にも被害者にもなり得るのではないかと、読んでいて、底無しの井戸に入り込んだような気になりました。そのときに大切なのは想像力。私はその人になりかわることはできないけれど、その人の気持ちとか思いをわかろうとすることはできるし、少なくともわかろうとしようとすることが大切なのではないかと。私は上巻に出てきた先生の運命をとても思いました。先生にしても加害者かもしれないけど、被害者でもありますよね。そもそも被害者でも加害者でもないのかもしれません。何かがずっと連綿と連鎖しているように思います。
全然うまく伝えられませんが、そんなふうな感想を私は持ちました。

ナカタさんのことでちょっと記事を書こうと思っていました。(たぶん明日かあさってか)下巻の言葉を少し引用するつもりなので、下巻を読み終わってから立ち寄って読んでみてください。

どうもありがとうございます。ではまた!

投稿: chiiko(faceさんへ) | 2005.06.15 16:02

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受信: 2005.11.27 20:53

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