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2005.03.31

絶妙のシュート

昨夜はサッカーワールドカップ最終予選、日本対バーレーン戦。かつかつ勝ちました。1点とるのは本当に難しい。じりじりしながらじっと我慢で見てました。決勝点は相手のオウンゴール。絶妙のシュート。あれは誰もとれないでしょう。バーレーンの選手、頭を抱えてました。なんかかわいそうでした。でも1点は1点。勝ちは勝ち。「皆の気持ちが乗った立派なゴール」とジーコ監督。幸運を引き寄せたのでしょう。
ドイツへの道がまた一歩近づきました。次も勝ってほしいです。

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ナチュラル

自分らしくないところを変えてみた
自分らしいところはそのままにして
変えるってもとに戻すということ
ナチュラルってもとに戻るということ

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絶妙なひと

あなたは絶妙 わたしが肝心なとき
絶妙のタイミングでいなくなる

助けが必要なとき 絶体絶命のとき
どこかへいってしまいそうなとき

レッスンはひとりでということ 絶対大丈夫ということ
どこへもいかないって わかっているから?

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2005.03.30

通り過ぎることのできないもの

harigami夕焼け通信のアキラさん撮影の写真です。通り過ぎることのできない風景。私の詩「はりがみ」を添えていただきました。(クリックすると写真が拡大します)写真と文字にも掲載されています。

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ないものねだり

あたりさわりのないことより
たわいのないことを もっと
話してみたい話していたい
何がどこでどうしてこうして
ああなってどうなったとか
それはそれでせんない
せつないことだとしても

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重装備

コートはいらない手袋もいらないマフラーもいらない
冬の格好のままでは春は感じられないもう春なんだね

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2005.03.29

じんこさんはじんこさん。

「不機嫌なジーン」。きのうは最終回。

先週プロポーズされて今回どうなることかと思っていたら、ラストは意外や意外、じんこさんと内野さんは互いに別々の道を歩いていくというものだった。じんこさんにはエンゲージリングもウェディングドレスも似合わなかった。じんこさんは誰のものにもならなかった。誰もじんこさんを自分ひとりのものにはできなかった。じんこさんは本当のじんこさんとなって、美しく羽ばたいていきました。

意外な結末だったけれど、これは私が無意識に望んでいた結果なのかもしれない。これからの新しい男女の姿を示していたようにも思う。進化した愛のかたち。脚本の大森美香さんはすごい人だと感じた。

人は愛し愛されるために生まれてきたけれど、結婚だけがその最終形ではない。ひとつ屋根の下で暮らさなくても運命の人はやはり運命の人。赤い糸で結ばれて生きていくのではないか。どんなに相思相愛の二人でも結婚が似合わない二人もいるのだと改めて思った。

最後の最後、じんこさんはひとり涙ぐみ、内野さんは立ちつくし見送ったけれど、あれはあれで赤い糸のハッピーエンド物語だったのではないか、と私は思いたい。とても悲しく切ないラストだったけれど。

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2005.03.28

まだまだ

春おぼろ待つまが花の満月をすぎてこよいも待つわまだまだ

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けんきょなひと

ぼくでよければって
ほかにだれがいるの
わたしでいいのって
わたしはほかにいないの

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2005.03.27

桜開花直前。

桜開花直前。東京の桜はきょうかあすにも開花するとかしないとか。咲く前の桜も私はそうとうに好き。「待つ間が花」とは本当にそうだと思います。木に気が満ち満ちています。木は枯れ木のように見えてじつは生きている。今の時期、木に触れてみるとよくわかります。芽吹くエネルギー、花咲くエネルギーが木のなかに満ち満ちています。
私、人に寄りかかるのはあまり好きではないけれど、木に寄りかかるのは好きです。先月も小石川植物園に行ったとき、とても大きな木があったので寄りかかってみました。この木なら大丈夫かなと思って。私の全体重をかけても微動だにしませんでした。不思議なことに自分の鼓動が聴こえて、木の鼓動も聴こえて、どちらの鼓動かわからなくなるほどに鼓動していました。春は本当に摩訶不思議な季節。本当のことをぽろっと言ったりします。桜きょう咲くのでしょうか。

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偏愛主義

博愛のひとを好きになる偏愛のひと
その博愛がときにくるしく
この偏愛がいつもせつない
博愛と偏愛のかなしい両思い

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2005.03.26

紙一重で惜敗。

昨夜はサッカーワールドカップ最終予選、日本対イラン戦。相手より1点多くとるのは難しいなとつくづく思いました。イランは地の利だけではなく、強かった。ということはきのうの日本は弱かったということ。実力的には紙一重でイランが上だったということでしょう。イランの選手はコンセンからストレートに抜け出す技にすぐれていました。日本はコンセンはコンランのまま終わってしまったという感じがしました。選手たちきりきり舞いしてましたね。私も観ていてキリキリしました。でも、きのうのことはきのうのこと。次のバーレーン戦は勝ってほしいです。

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一点主義

一点になりたい
一番でなくていい
一番さいごなら本望
その一点になりたい
その一点でありたい

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たがゆるむ

うわのそら春はハートのたがゆるみ満月さえもうわすべりする

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2005.03.25

「ショコラ」

店の扉はいつも開いていて、誰でも出入り自由。
誰が来るかは、その日その時にならないとわからない。
誰も来ない日もある、にぎわいの日もある。
来るもの拒まず、去るもの追わず。

思い出すのが映画「ショコラ」。ジュリエット・ビノシュとジョニー・デップが愛の放浪者を演じています。

ビノシュはある日ある村に北風に吹かれてやってきて、チョコレート店を始めます。彼女は誰にでも公平に扉を開き、不思議な愛のチョコを売ります(贈ります)。そのことで時に自分の心が深く傷つくこともあるけれど、彼女は扉を開きつづけ村人たちにチョコを贈りつづけます。

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どうしたものか

十三夜月に押されて本心を言ってしまったもうもどれない

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2005.03.24

亀渕さん

今回のことはテレビと新聞でちょっと知っているだけで、人のことを見た目で判断するのはよくないけど、私は亀渕さんに一番ひととしてのぬくもりを感じる。彼は一番最後に遅れて表に出てきて、存在感も影も薄かった、ように思う。(日増しに私の中では存在感を増していった)。うずのなかのひとなのにかやのそとのひと、だったように思う。きょうの朝刊に「私はDJをしたこともあり、若い方は好きです」。「(ラジオは)人の心と心をつなぐ優しさ、ぬくもりがあるメディアだと思っている」という言葉が載っていた。亀渕さんは時代遅れのひとなのかもしれない。けれど時代が求めている最先端のひとなのかもしれない。

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ホワイトボックス

インとアウトはよく見える
ハコノナカミがよく見えない
なのに救いなのは
なのに希望なのは
それでも見つづけるものは

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2005.03.23

「最後の春休み」

子供たちはそろそろ春休みなのかな。
大学とかはとうの昔に春休みだと思うけど。
最近、私のなかで響いているのがユーミンの「最後の春休み」
どのフレーズにも情景とストーリーがあって、じんとくる。
出だしの「春休みのロッカー室に忘れたものをとりに行った」
「アルファベットの名前順さえあなたはひどくはなれてた」
「もしもできることならこの場所におなじ時間にうずくまっていたい」
「もうすぐ別の道を歩き思い出してもくれないの」
そしてラストの「さいごのは~る~や~す~みー」の伸びる歌声。

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しずく

プロポーズ気持ち満ちみち発露してこぼれおちるよ君の手のひら

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2005.03.22

居場所

行き場所のない日には
ここに座っていよう
ここが居場所なんだから
行方知らずにならないように

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突然のプロポーズ

「不機嫌なジーン」。きのうのじんこさんは唐突にプロポーズされた。

くるぞくるぞと思わせて、されるプロポーズも、それはそれでうれしいものだけど、ハートが互いに引き合って、気持ちが満ち満ちて、自然発露的にされるプロポーズは、もっとうれしい、本物だと思う。突然だけど、自然な流れのなかでのプロポーズ。

言葉は「おまえのことは一生俺が守ってやる」という月並みなものだったけれど。「一生君を守り愛し続ける、かもしれない」というカッコ悪いものだったけれど。じんこさん、ほんとにうれしそうだった。めずらしく素直に「イエス」と答えていた。愛は人を素直にするものなのかも。じーん。本心と本心が絡み合った、という感じがした。

ヒトも植物と同じように困った時や弱った時にヘルプ・ミー誘引物質を出すけれど、本当のヘルプ・ミー信号はだれかれ構わずに出すわけではなく、たったひとりの人に向けて送るものだな、としみじみ実感。

「助けて」と呼んで、本当に来てほしいのはたったひとりの人。本当に守ってほしいのはたったひとりの人。じんこさんの心からの「あなたが必要」信号が内野さんの心に届いて、内野さんも心からの「君を守るよ」信号を届けのだと思う。「君を守る」ということは、つまりは「君が必要」ということ。必要と必要が絡み合った、という感じがした。

これからこの愛はどうなるの。予告編はいつも見ない。あと2回? 岡田義徳君の存在も気になるきょうこの頃。小林聡美さんも言っていたけど、男女の比率はやっぱり1対1がいいなと思う春きょうこの頃。

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コンフィデンシャル

のぞいてもよめないでしょうもざいくをかけているからこころのえもじ

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2005.03.21

「熊の木本線」

最近の流れのなかで思い出されていたのが「熊の木本線」。

昔、石田純一さんが「世にも奇妙な物語」の中で演じてました。
(これは思うに石田純一さんの代表作、今も印象に残る名演技)
熊の木本線に乗って熊の木にたどり着いた石田さんが
何も知らずにあやうい歌をみんなの前で歌い踊ってしまいます。

原作は筒井康隆氏『おれに関する噂』収録の短編「熊の木本線」。
書棚から取り出して読み返してみました。この前、読んだのはたしか10代の頃。大まかな筋はぼんやり覚えているけれど、細部はすっかり忘れていたので、今回はらはらどきどきしながら読み始めました。私、げらげら笑いながら読んでいって、最後はしーんとなりました。

あやうい歌とは「熊の木節」という歌で、「歌が突拍子もなく面白い上に、踊りがこの世のものとも思えぬ奇妙奇天烈さで、誰が歌い踊っても、げらげら笑わずにはいられないのである」そうです。

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音信

わたしはよく大切なひとを
音信不通にさせてしまう
たよりのないのはよい知らせ
それならばいい そう信じている
これからも音信を送りつづけます
大切なひとだから あてなあなたで

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2005.03.20

うつろ

白昼におわんをふせたような月 春はハートもおなかもうつろ

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うれしい

うれしい
たとえなにがあっても ただうれしい
たとえなにもなくても ただうれしい
わけもなくうれしいわけではなく
わけはちゃんとわかっている
それを思うと またうれしい
うれしいはうれしい

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わかったこと

突き放されたような言葉を言われました
突き放したのはわたしだった
突き放されたような思いになりました
突き放したのはわたしだった
わたしがわたしをみつめて
わかったこと
わかりあえたらいいですね
わかりあおうとしたいです

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きょうこの頃

ひとは自分を映すかがみ
ひとのふり見て自分のふり直そう
と思うきょうこの頃

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2005.03.19

桃の木

きょうから三連休の人は三連休。
私もひとなみに三連休です。

きのう近くで桃の木の花が咲いていました。
梅の咲いた後、桜の咲く前の、桃の花の時期が私は一番好き。
桃の木はふるさとの思い出とつながっています。

実家の庭には小さな桃の木があって、私はそれがとても好きだった。
塀沿いの目立たないところにあって、けれど春になるといつも豊かに咲いてくれた。ともだちと桃の木のそばで、ままごとのようなお花見もした。ひそかに「わたしの木」と呼んでいたけれど、私が親元を離れて暮らすうちに、いつしかあの桃の木はなくなっていた。

庭の手入れは父の趣味だから、なにかの事情があって父がどうかしたのだと思う。私があの桃の木を好きだったことを、多分父は知らない。一言言っておけば残しておいてくれたかな。もっと父といろいろなことを語り合いたかったな。春にしてそんなことを思うきょうこの頃。

桃の木の花が咲くと、季節がひとめぐりして
ああ、また春がやってきたんだなと思います。

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夢で会えた

夢のほうが
よほどリアルで
生きていて
目が覚めて
もういちど
眠りたいと思った

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2005.03.18

杉田かおるさんと福まゆ

杉田かおるさんといえば、「パパと呼ばないで」のちーぼー。
少し前までCSの再放送でよく観ていました。
「雑居時代」もおもしろいです。石立鉄男さんとの名コンビ。
石立鉄男さんといえば、リアルタイムで「水もれ甲介」を観てました。
カッコ悪いけど、カッコいい男性だな、と当時は思ってました。
今、HPで拝見したらシルバーグレーのおじさまになっていて
リチャード・ギアみたいだなと一瞬思いました。

それできのうの「優しい時間」の杉田かおるさんは
すごかったです。夫の浮気が発覚した直後の妻の役。
私が思うに、今の杉田さんはとても幸せだから、今までの人生があったから、あれだけの演技、あの役ができたのではないかなと。
怒りにうち震えながらガリリガリリと挽くコーヒーミルの音は
鬼気せまるものがありました。女のじょうねんのような音。
人の気持ちは、音にも如実にあらわれるものですね。

眉が細くつり上がって、ものすごい顔をしていました。
鬼の形相というのはああいうことを言うのでしょう。
でも、私、きのうの杉田さんをとても美しいと思いました。
人目もはばからず夫の浮気の真相を確かめようとする姿。
そうそうできるものではありません。
夫のことが本気で好きだから
あそこまで本気の行動ができたのではないかなと。
平気のへいざの顔をする浮気相手役の清水美砂さんよりも
よほど美しいと私は思いました。

女の幸せは男次第ということはあるかもな、
女の幸せは眉に出るものだな、としみじみ思いました。

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これもそうもんか

朝夕に そしらぬかおで
くるひとよ それもうれしく
からさわぎ からげんき

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2005.03.17

ほんとうのこと

ほんとうのことを言ってくれてどうもありがとう
ほんとうのことを言うのは勇気がいったでしょう
ほんとうのことを言ってくれる人はそうはいない
ひとの言うことをまるで聞かない人と知っていて
ほんとうのことを言ってくれてどうもありがとう

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うずのなか

なにかあると
前にもこんなことあったな
と思い出す
うずのなか
まきこまれはしたけれど
のみこまれはしなかった
やがてうずはおさまり
うずのそと
後で見たうずは
美しい文様を描いていた

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2005.03.16

夢殿

大阪では聖徳太子創建の四天王寺へ参拝しました。

知恵の輪くぐりをしたり、五重塔、金堂、太子殿などの建物を見たりしながら広い境内をのんびり歩きました。聖徳太子は形あるもの形ないものさまざまつくった方なのだと改めて思いました。歴史上好きな人物は吉田松陰先生、そして聖徳太子さんと卑弥呼さん。萩、奈良飛鳥地方には、なぜだかとくに心引かれます。

聖徳太子といえば、私は夢殿。夢殿は奈良法隆寺にある八角堂で、太子はしばしばここに籠もって瞑想や思索をしていたとか。タイムトンネルへの入り口であったなんていう話も聞いたことがあります。すべては夢殿のなか、今となっては知るよしもありません。過去と未来と現在がうずまく場所で太子はどんな夢を見ていたのでしょうか。

さらに難波宮跡公園にも行きました。難波宮は幻の都と呼ばれ、長らくその存在が確認されていなかった都です。ここにも八角堂があったようです。やはりそこも夢殿であったのでしょうか。この史跡公園は復元された建物がほとんどなく、とてもしんとした広大な空間でした。目には見えないけれども、幻の都が目に浮かぶようでした。

大阪の旅は、歴史のロマンを感じた旅でもありました。おしまい。

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はりがみ

書きなぐった言葉は 心の声みたいに聴こえた
書きなぐった言葉は 詩のように心に響いた
だからそのままにできなかった
通り過ぎることはできなかった
けれどわたしひとりのものにはできなかった
その言葉はわたしひとりのものではないから
けいじばんにはられたはりがみのようだったけれど

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2005.03.15

きょうは

きょうは二等辺三角形の底辺の人に感謝する日だったのかもしれません。支えてくれてどうもありがとう。あなたがいなければきっと倒れていたでしょう。私もいつかあなたのように二等辺三角形の底辺の人になれればいいなと思う。立派にその役が果たせればいいなと思う。きょうはハッピートライアングルの日。ほんとうにどうもありがとう。

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きのうはホワイトマンデー

きのうはホワイトマンデー。ホワイトデーは3倍返しが世の常だとか。ということは1の3倍は3、ゼロの3倍はゼロ。ウェブチョコは届いたかしらいまいずこ。リアルワールドではチョコはいらないというからあげなかったけれど、おいしいミルクココアをつくってくれた。もしかしたら
1の3倍はゼロ、ゼロの3倍は1、ということなのかもしれない。

「不機嫌なジーン」。
きのうのじんこさん、内野さんについての新事実を人づてに知ることとなった。好きな人のことは、みっともないこともカッコ悪いことも何でも知っておきたいけれど、できれば好きな人の口から直接聞きたい、というのが女心。特に信念や生き方に関わることであればなおのこと。でも内野さんにも一言では言うに言われぬものがあったのだと思う。

内野さんとの仲は恋から愛へと変容中。そこへ新たな人間関係が加わって、三角関係ならぬ複雑コンセン模様となってきた。こんなふうにして運命の赤い糸もだんだん強く太くなっていくものでしょうか。

私は3という数字が好きだけれど、三角関係は好きではない。嫌だ。でも気づいたら知らないうちに三角関係になっていた、なんてことは過去何度かある。そもそも三角関係になりたくてなる人なんて、いないのだろうけれど。できれば三角関係よりは四角関係、偶数の多角形関係がいい。2対2でうまくまとまる可能性もあるだろうから。できれば三角関係も、正三角形よりは二等辺三角形がいい。できれば私は二等辺の一辺でありたい。

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なみだもいろいろ

悲しくもなんともなかった
そんなじぶんが悲しかった
なみだくらいながせよ
と思ったら なみだながれた

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2005.03.14

スイートメモリー

大阪では旅の初めに、昔、住んでいた家を見に行きました。

最寄り駅は阪急線・各駅停車のとまる小さな駅。そこは結婚して最初に住んだ家。6世帯ほどの古くてこじんまりした集合住宅で、敷地の半分が緑の芝生で覆われていて、そこで何度かバトミントンをした記憶があります。震災を機に建て替えられたと聞いていたけれど、それでもいいからもう一度その場所を見たくて、再訪しました。

昔の建物は瀟洒なマンションに建て替わっていて、緑の芝生はもうありませんでした。あの頃、私は若かった。その地には知人も友人もいなくて、頼れる人はただひとり。毎日が日曜日の平和で平凡な生活だったけれど、稚くて愛を知らずで、どうでもいいようなささいなことが気になって、時々けんかして泣いていました。その生活がいつまでも続くような気がして、でもいつまでも続かないような気もしてました。

今回、昔、住んでいた家を見に行って、もうすっかり建て替わった建物を見て、私にもスイートメモリーがあったのだとしみじみ思ってじんときました。素直に、ありがとう、という気持ちになりました。

まるで「ニュー・シネマ・パラダイス」のようだと思いました。トトがアルフレードの葬儀のため数十年ぶりに故郷を再訪して、かつて過ごしたシネマ・パラディソを見に行く場面。あの映画を最初に観たのは神戸三宮。今思えば未来を暗示するような映画だったのかもしれません。

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ターミナル

ターミナルいるはずのないひとさがす旅のポッケにきみのぶんしん

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2005.03.13

大阪へ行ってきました

春の風に吹かれて、大阪へ空の旅をしてきました。
旅に出ると自由な解放感もあるけれど、一方でいつもと違う緊張感もあります。大阪はエスカレーターが右側停止・左側歩行の文化なんですね。最初はなれなくて戸惑いました。なれた頃には旅が終わっていたという感じです。今、いつもの家と街に帰ってきて、宴のあとの心地よい疲労感の中、気の抜けた感じで、まだぼーっとしています。

大阪では地下鉄に乗って街をぐるぐる回って歩いて、いろいろなところへ行って、いろいろなものを食べました。旅の記憶は食の記憶。阪急そばのえび天そばから始まって、亀王のトンコツ塩ラーメン、道頓堀の本家大たこのたこ焼き、梅田サンマルコのカレーライス等々。

一番のクライマックスは大阪の鶴橋で食べた本場韓国料理。大邱家というお店に行って人気の韓定食を食べました。キムチ、チゲ、チヂミ、ナムルなど、肉、魚、豆腐、野菜を具材にした、見てカラフル食べてパワフルな、17種類の一品料理。五色五味を味わい尽くしました。ヨモギ汁もあって、おいしい薬膳料理のような感じです。食べた後はからだがしんからじわじわ温まって、お肌もツルツルになりました。

鶴橋は大阪のコリアンタウン。駅をおりるとすぐに商店街と焼き肉店とがひしめき合い、迷路のような路地が交差する街。初めて行ったのに、なぜか既視感がありました。街全体がまるで映画のセットのようで、歩いている人がエキストラのように見えてくる不思議な街でした。

とにかくいろいろなものを食べたので、パワフル元気にはなったけれども、かなり太ってしまいました。今、おそるおそる体重計に乗ったら過去最高体重になっていました。あれだけ食べれば、それは当然の帰結なんですが。何とかしなければ。しばらく節制しようと思います。

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西へ行く

風に乗りおセンチちゃっぴい西へ行くたこ焼き食べてじぶんかいふく

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2005.03.10

髪を切りました

きのうは午後から美容院。月に一度のお楽しみです。先月はメグ風ウルフカット、今月のオーダーは春らしいウルフカットで、とお願いしました。「いつも同じだとつまらないですよね」といって軽めにまとめてくれました。後ろ髪は長めに、サイドは頬骨のあたりでクルリンとなる感じ。まんぞくまんぞくまたまた新しい私に仕上がりました。

担当の美容師さんはカットがとても上手で(私はいつもカットのみ)、話はさりげなくて話題に富んでいて、全然偉そうぶらない謙虚な方。そしてとてもカッコいい方。彼こそ真のカリスマ美容師さんだと思うのです。私、今までカリスマという言葉が好きではありませんでしたが、先日の日経新聞「春秋」を読んで、言葉のイメージが変わりました。

カリスマとはギリシャ語で「神の贈り物」の意味だとか。新明解をひくと「神の賜。超能力」とありました。素敵な言葉。美容師さんの能力は、言ってみれば超能力のようなもの、素敵な美容師さんと出会うのは、かみさまからの贈り物なんだな、ときのう実感しました。

それで私、唐突にグレープの「追伸」という歌を思い出しました。私は追伸のある手紙が好き。追伸でなくても、最後のさりげない一行、さりげない言葉が好き。本心の伝え方、伝わり方もいろいろです。
私髪を切りました。きのうの天気は春うらら春るるる。きょうは魚座の新月、新しいスタートの日。新しい旅がまた始まっていきます。

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ねがうこと

扉の閉まる音を聞くのは もういや
ガチャンも バタンも パタンも いや
だから サイレンスで できれば 閉めないでいて

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いちばん欲しいもの

自分がいちばん欲しいものは
自分がいちばんよく知っている
なんて わかったようなことを書いたけど
いつもわかったようなことを書いているけど
決められないんだ いつも 手にはできないんだ
いちばん欲しいものは いつもどこかの向こう側  

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2005.03.09

数のイメージ。

数学は苦手で数の計算も苦手ですが、数のイメージは好きです。
私の生年月日を全部足して、さらにそれを1けたになるまで足すと、
3になります。数の神秘。ヌメロロジー。私のラッキーナンバーは3。
数を選ぶときには何となく3を選びます。

3を選んでラッキーなことが何かあったかというと、特に何かあったわけではなく、ただ3を選んでおくと、気持ちが落ち着くというか、納得がいくというか、ただそれだけのことなんですけれど。だから、3月というと、ただそれだけのことでハッピー・ラッキーな気分になります。

3のイメージは自由闊達、無邪気なピエロ。
あと1とか5とか7も好きです。偶数よりは奇数。

素数も好きです。1と自分以外のものでは割り切れない数。
割り切れるものよりは割り切れないもの、
安定的なものよりもちょっと不安定なもの、はみだしたものが好き。
よくよく考えれば2は偶数でもあり素数でもあるんですね。

2月は私の内と外とがコンセンしてかなりコンランした月だったので、3月はコンセン・コンランの混沌から一歩踏みだしハードルを超えて、新しい世界を自然と開いていきたいです。

ただそれだけのことですけれど、3月9日の朝に思うこと。
日はどんどんと過ぎてゆきます。さるるるる。はるるるる。

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ひとことで言ってしまえばすむことを言えない苦しさ言わない楽しさ

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あなたのもとへ

朝一番あなたのもとへ駆けてゆく扉のまえに赤い自転車

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2005.03.08

春が来て、ことしいよいよ

「不機嫌なジーン」
きのうのじんこさんはとてもきれいになっていた。
2年前、想いを確認しあった内野さんは地球の裏側に行ってしまい、
この半年間は音信不通。どこで何をやっているのだか、さっぱりわからない状態。けれど、じんこさん、2年間の悲しい両想いを経て、タフで美しい蝶に変身していた。
ふられた元彼と再会しても笑顔で世間話ができるようになった。
キケンでカッコいい第三の男も急接近してきた。
でも、離れていてもやはり運命の人は運命の人。
運命の人以外には、どうしたって心は動かない。

内野さんは突然嵐のようにじんこさんのもとに帰ってきた。
「きみがおれのことを探していると聞いて飛んできた」。
相変わらずのワンパターンでキザな人。
でも、好きな人のことはどうしたって好き。
愛しい人のもとへ駆けていくじんこさんは、とても美しかった。

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ハートゆらして

朝ぼらけハートゆらして欠けてゆく薄紅色のそらに浮く月

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2005.03.07

「ミュージックレッスン」

きのうはなんとなく東のほうの書店に行きたくなったので、丸の内線に乗って東京駅へ。まずは丸の内オアゾの丸善へ、その後ふらふらと八重洲ブックセンターへ行きました。そうしたら8階ギャラリーで
山本容子さんの新作版画展「ミュージックレッスン」が開催されていました。音楽を題材に制作された作品が多数展示されていました。

春らしい色彩の絵が多かったように思います。会場には音楽は流れていなかったけれど、春色の音楽を聴いているような感じがして、思わずハミング・スキップしてしまいたくなる心踊る空間でした。谷川俊太郎氏・谷川賢作氏との共作「旅1」、「never ending tea party」、「Nature Boy」の3つの絵がとくに印象に残りました。

「ネイチャーボーイ」はナット・キング・コールの曲として有名で、イーデン・エーベズという素人のソングライターが作った歌だそうです。歌詞のラストが紹介されていて、じんときました。「この世でもっとも素晴らしいことはただ愛し、そして愛を返されること」。ほんとそうですよね。

記念に「ネバー・エンディング・ティー・パーティー」の絵葉書と山本さんの著作「女」「女・女」を買いました。きのうはなんとなく東のほうの書店に行ってみて、いいこととたくさん出会えてよかったです。

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両想い判定器

さりげなく本心を伝えた
さりげなく本心を返してくれた
本心と本心が絡み合った
さりげなくすき
さりげなくすき

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2005.03.06

いつもはパン食

朝ですよ魚のにおい満ちてゆくつきいちくらいはのんびり和食

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うまのなまえ

日曜の朝の楽しみは、新聞でうまの名前を見ることです。また最近、気になるうまの名前を見つけたので書いておきます。チチンプイプイ、カゼノユクエ、アサクサキニナル、カゼニフカレテ、ドリームカムカム、シゲルゴッドハンド、シゲルコレデモカ、オトコノユウジョウ、ナゾ。
うまのなまえもいろいろなんだな、としみじみと思う日曜の朝です。

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わらってさようなら

さりげなく本心を聞いた
なにげなく本心が返ってきた
本心と本心がすれ違った
なにげなくさようなら
さりげなくさようなら

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2005.03.05

思いのままに梅の花

きょうは啓蟄。書けないけど読める日。啓蟄は好きな日。
冬ごもりの虫たちが地中から出て活動を始める日。

きょうの吉方位はなんとなく西のような気がして、多摩川と鶴見川を越して横浜の大倉山公園に梅を見に行きました。梅がきれいに咲いていました。梅の1本1本に品種名が書かれていて、梅の名前もいろいろなんだなと思いました。野梅、白加賀、桜梅、筑紫紅、寒紅梅、八重寒紅……。「思いのまま」という名前の梅もありました。不思議なことに、1つの木に白と薄紅の2色の花を咲かせていました。だから思いのままなんですね。思いのままに咲いて咲かせる梅の花。

それでさっきふと思い出したのですが、はるか昔の高校の卒業式はたしか3月4日か5日でした。NHK「みんなの童謡」で「仰げば尊し」が流れてました。近頃この曲はあまり歌われなくなったとか。時代遅れなのでしょうか。「いまこそわかれめ~」というところがじんとくる歌です。このフレーズが最近私の中でよく思い出されて響いてました。

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悲しい両想い

なんでも聞いていいよと言われたら
なんにも聞けなくなってしまった
わたしはどうしようもない
おちゃっぴいでおばかで
やっぱりいくじなし

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おだいりさま

一夜明けやよいの雪に見送られクレーンの君はきょうも出動

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2005.03.04

カラフルひなまつり

irotoridori夕焼け通信アキラさん撮影の写真です。カラフルウォッチもダンシング。私の言葉を添えていただきました。(クリックすると画像が拡大します)アキラさんの写真と文字にも掲載されています。

きのうはひなまつり。ホワイトひなまつりになるとの予報があったけれど、私が眠る頃はまだ雪にはなっていなかった。あめはよふけすぎにゆきへとかわるだろう の歌のとおり今朝は雪が降りつもっている。

ひなまつりといえば、ふるさとの母、のどかな春休み。私の故郷ではひなまつりは、なぜか4月3日だった。今頃の時期になると母がひな人形の箱を押し入れから取り出して、ひとつひとつていねいに整えて飾ってくれた。そしてそれは春休みの間じゅう南向きの縁側にずっと飾られていた。母がいないときにも母がそこにいるような気がした。
人形の感じは今でもなんとなく覚えている。きりりとやさしい顔立ちのおだいりさまとおひなさま&みなさまたち。今はもう飾られることはなく、ひっそりと押し入れの中で私の帰りを待ってくれていることだろう。

 ただいまと扉ひらくとおひなさま おかえりなさいと母のまなざし

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タイムラグ

そういえばあのとき
胸苦しかった 頭痛かった
心揺れた 涙流れた
もしかしたら 失恋したのかもしれない
ということは 恋してたのかもしれない
今は失恋リハビリ中なのかもしれない
いつも気づくのが遅い私 気づくのが遅くてよかった
てくてくと歩いてゆこう ゆるゆると歩いてゆこう

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2005.03.03

ひなまつり

おひなさま
やよいの春にダンシング
ラストの舞はうんめいのひと

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2005.03.02

ダンシング

春の色カラフルパレットダンシングいろとりどりの夢をみせてね

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今までと今とこれから

扉はいつもぎりぎりまで開かなかった。翼はいつもぎりぎりまで開かなかった。こたえはいつもなかなかやってこなかった。ぎりぎりまで待たないとやってこなかった。わたしのワンパターン。今度は少し変えてみよう。変わってみよう。自分からとりにいってみよう。今までと今とこれからはちょっと違う気がするから。一歩ふみだし境界をこえて。

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2005.03.01

別れの言葉は「またいつか」

「不機嫌なジーン」。
きのうのじんこさんは失恋リハビリ中。ふられたら急に周りの男性がみな優しくなった。そんなことってあるのかな。あるような気がする。ぎりぎりの状態になるとヒトもヘルプミー誘引物質を出すのだと思う。内野さんからは告白された。「見えない絆があるとしたら俺にとってはおまえかもしれない」。いつも嘘ばっかり言っていると肝心な時に大事なことが伝わらない。でもじんこさんにはじんじん伝わったと思う。言葉では伝わらないものも、運命の人ならばハートが共振・共鳴して、ちゃんと伝わるのだ。もう嘘はいや、恋を失うのはいや、逃げずにまじめに正直に向かってくる愛が欲しい、というじんこさんの気持ちよくわかる。しかし別れは突然にやってくる。内野さんは地球の裏側に行ってしまった。告白してじんこさんに想いが伝わったというのに。別れの言葉は「またいつか」。またいつかは夢ある言葉だと実感。

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ワンパターン

ぎりぎりまで行かないと扉はひらかない。ぎりぎりまで落ちないと翼はひらかない。わたしのワンパターン。わかってはきたけれど。わかってはいるけれど。いつもジタバタ。いつもキリキリ。まだ扉はひらかない。まだ翼はひらかない。まだまだぎりぎりではない。もうすこし行ってみよう。もうすこし落ちてみよう。わたしのいつものワンパターン。

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