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2004.12.08

私は

かなしいとき かなしいといわない
さびしいとき さびしいといわない
すぎてから かなしかったという
すぎてから さびしかったという
それは 一瞬のときも 一日のときも
一年のときも 十年のときも
それが 一生のときも いま私は

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コメント

chiikoさん、こんにちわ!
なんとなく、そういう気持ちって分かる気が
します。
ほんとにさびしい時、なんだか口にするのを、
ためらうってありますね。
今日は玄関を始め、部屋の掃除をしたら、
気持ちいいです。

投稿: うさうさ | 2004.12.08 15:57

またお邪魔しています。
・・・
私もそういう気持ち分かる気がします。
・・・
私の場合は、
怒りも、悲しみも、その場では感じられず、
ず~と、後になってから、
ふつふつとじわじわと感じてくる事が多い気がします。
ようするに鈍いという事ですけど・・・。

投稿: イチゴベリー | 2004.12.08 18:51

こんばんは♪chiikoさん。

そうですね。
本当にかなしい時やさみしい時って、「かなしい」とか「さびしい」って言えないですね。つらい時も言えないです。。。

なんだか自分を哀れんでいるだけな様な気がしてしまうので私はいえないのですが‥‥‥。
強がりなので、かなしさやさびしさに負けてしまうのが嫌なのかもしれません(^-^;)

投稿: tipo | 2004.12.08 18:52

うさうささん、こんばんは!
そういう気持ち、うさうささんもありますか。
ほんとにさびしい時は、たださびしいんですよね。
きっと言葉にする余裕などないのかもしれません。

うさうささんもきょうお掃除の日だったのですね。
私は水曜日と日曜日が掃除機をかける掃除の日なのです。
朝、掃除をすると、気持ちがすっと晴れてゆきます。
では、また!


投稿: chiiko(うさうささんへ) | 2004.12.08 19:21

イチゴベリーさん、こんばんは!
多分、怒りとか哀しみというのは、心が真空状態になるのかもしれませんね。
だから、後で、ふつふつとじわじわと感じていくのかもしれません。
「ようするに鈍いという事」、それは鋭い指摘です。
だから、それが真空状態ということですよね。
鈍感な人って、実は敏感なんですよね。
またいつでもお越しください。では、また!

投稿: chiiko(イチゴベリーさんへ) | 2004.12.08 19:28

tipoさん、こんばんは♪
朝、tipoさんのブログを見て、
なんだか記事がシンクロ、とか思いました。
tipoさんも強がりなのですね。
自分に対して負けず嫌いなのかしら。
今、tipoさんは元気ですか。
私は元気です。では、また!

投稿: chiiko(tipoさんへ) | 2004.12.08 19:34

chikoさん、
かなしいときって、かなしすぎて、かなしいって思わないのかも。
その時が過ぎて、かなしい思いを自分の中で消化できてから、はじめて、かなしいって思うのかな?

胸にじんとくる言葉ですね…。

投稿: あんず | 2004.12.08 21:05

あんずさん、こんばんは!
あんずさんも前に記事で、つらさや悲しさをあまり表に出さない、というようなことを言っていたような記憶があります。
とくにあんずさんは最近とても悲しい経験をされたので、あんずさんのこのコメントはとても重みがありますね。
私もあんずさんの言葉、じんときます。
では、またね。

投稿: あんずさんへ | 2004.12.08 21:45

幸せですか?と問われたとき
「今あなたといるときはもしかしたら幸せなのかもしません。
でもそれがわかるのはある程度の時間が経ったころでしょう」
と答えます。私だったら。
人間が生きていけるのは未来の自分になにかしら
期待感を持っているからではないかと思います。
今がかなしくても、そしてさびしくても。

投稿: 微風 | 2004.12.08 23:31

微風さん、こんばんは!
幸せについてコメントすれば……
この詩は幸せについて書いた詩なのかもしれませんね。
微風さんのコメントを読んで、期待感というのは希望という言葉に置き換えてもいいかなと思いました。
ショーシャンクの空にという大好きな映画があるのですが、その中で「希望は何にも替えがたい。希望は永遠の命だ」という言葉が出てきます。
未来の自分を思うとき、私はとても自由な気持ちになります。
未来の自分っていい言葉ですね。
どうもありがとうございます。では、また!

投稿: 微風さんへ | 2004.12.09 20:36

こんばんわ、chiikoさん。

これ、私にとっては胸が痛くなるような言葉です。
かなしいとき、さびしいとき、私は平気な顔をことさら装います。傷ついてなんかいないんだって、まわりに見せびらかす為に。

何でそんな事するのかっていうと・・・ 周りに負けない自分である為、ただそれだけでしょうね。
自分自身が安心した時しか、人に言えない言葉です。改めて考えちゃいました。

投稿: つきのこ | 2004.12.09 23:53

つきのこさん、こんにちは!
かなしいとき、さびしいときって、自分で自分を守ることで精いっぱなところがありますよね。
自分を守れるのは自分しかいないみたいな感じです。
そうでもしないと、何かが自分の中で崩れていきそうな、もういっぱいいっぱいな状態。

私も負けず嫌いなところがあります。
これは私のよい面でもあるし、依怙地な面でもあると自覚してます。
「自分自身が安心した時」というつきのこさんの言葉、心に響きます。
自分が自分自身に安心することってとても大切なことですよね。
かなしいとき、さびしいときも自分自身に安心していられたらいいなと思います。
どうもありがとうございます。では、また!

投稿: つきのこさんへ | 2004.12.10 08:44

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