ちいこ散歩
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アイム・フォレスト・ガンプ。『フォレスト・ガンプ』は大好きな映画。素直に心が洗われる。特に好きな場面が2つあって、その1つが、ダン中尉が神様と仲直りするシーン。映画の後半も後半、ダン中尉は海に飛び込み、その感触を確かめ味わうように泳ぎ漂う。この時「ダン中尉は神様と仲直りしたようだ」と語るのはガンプなのか、実は神様自身なのか。この場面を見るたびに私は思っていた。ダン中尉、神様と仲直りできてよかったねと。そしてこの私は一体いつ神様と仲直りするのだろうか。そんな日は私には永遠に来ないのではないか。いや来てほしいと。
この4月後半も後半のある日ある時、ああ私も神様と仲直りしたんだと心から思えた瞬間がありました。その時の感触・感覚は今もじわじわと私の中で続いています。神様はずっと私を見守り、私と仲直りしようと手を差し伸べてくれていたんだなと。
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今年の朗読発表会には星新一氏の『ボッコちゃん』を読みました。淡々・棒読み調の私には最適なのではないかと3カ月前に決めました(朗読を学んでいるにも関わらず私は朗読調が大苦手大嫌い)。『ボッコちゃん』については3年前に記事を書いています。ここへ来てこの私が人前で読むことになろうとは夢にも思わなかった。未来はほんと生きてみないと、わからないです。
3カ月間毎日ちょっとずつ練習していったのですが、私、日を追うごとにボッコちゃんに感情移入していって、ボッコちゃんの声に感情がこもっていってしまいました(3カ月前の最初に朗読した時が一番リアルにボッコちゃんだったように思う)。ボッコちゃんはロボットのカウンターレディだから、あくまで淡々・そっけなく・つんとしていていいというのに、何か映画のA.I.みたいに読みが変化していった。
でも思う。確かにボッコちゃん、頭は空っぽに近く感情を表すことこそしなかったが心はあったのでは?そもそもボッコちゃんはカウンターレディとして作られたのではない。人間の勝手な都合でカウンターに置かれただけ。ボッコちゃんはどこにいてもボッコちゃん。
さらに実は私この4月から某コーナーのカウンターに立つことになりました。いわゆるカウンターレディとしてではないのだけれど。できるかな、ボッコちゃんみたいにその役をやり果せるかしら。今からはらはらどきどきわくわくしています。
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全部叶えてと願った
全部叶えると誓った
手のひらを開いて全部を見る
随分とゆとりが
これ全部 そう全部
願ったものは誓ったものは
私が叶えるものは
ゆとりと手のひらいっぱいの
すべて
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きょうは春分 もうすぐ満月。今このタイミングで。
出来たら全部叶えたい。my wish, my best。
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1年9カ月連れ添った私のカメラ、修理のため2月末から手元を離れています。カメラあってもなくっても私と思っていましたが、いざカメラがなくなると頼りない感じがして、いつもの私ではないような気がして、特にカメラなしの週末には手持ち無沙汰・手ぶらの散歩ってこんな感じだったっけかと奇妙不思議な喪失感覚の中にいて少々戸惑っていました。でもやがてカメラなしの私にも慣れてきて、やっぱりカメラあってもなくっても私です。
そんな弥生三月、私の好きな写真、写真家、写真集を記しておきます。初めて植田正治さんの写真を見たのは、去年の写美だったのか、いやもっと前だったか。昭和の写真展か何かで、全体の写真群の中で写真家の一人として植田さんの写真を見て通り過ぎ、それが私の記憶に残っていたのでしょう。その後、図書館で『植田正治 私の写真作法』を手にとり見覚えある写真だと思い出し、本を読んでいくうちに植田さんの写真の全体が見えた気がして、その写真と文章と人と世界に引き寄せられました。ああ、私が出会いたかったのは、出会いたいのは、ナチュラルポーズのこういう写真なんだなと。
私は押しつけのメッセージは好きではない。窮屈も嫌、不自由も嫌。私は風通しのいい空間世界が好き。自然の意図が感じられる写真が好き。伝えようとしなくて伝わってくる写真が好きです。
ところで鳥取砂丘へは行ったことありますか。私は20数年前の夏に行きました。植田さんの写真を見ていて、もう一度行きたくなりました。ポーズとりたくなりました、ポーズ撮りたくなりました。
その日のためにも私のカメラ、今どこ行ってんだか、どうか無事で帰ってきておくれ。
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星のことも月のことも
何にも知らないあなたに向かって
あの月はね あの星がねと言っても絵空事
泣いたんだよ つらかったこと痛かったこと
笑ったことさえも ちちんぷいぷい絵空事 飛んでゆく
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いきなり神保町の食べ物情報。天ぷら いもやです。ある平日の昼前11時半頃、九段下から神保町へ歩いていましたら、ぷ~んと香ばしいごま油の匂い。ふと見ると、そこにはいもやがありました。たしか5年位前に1度行って美味しさの記憶は私の中にありましたが、場所のことはどこだかもう忘れてました。ああ、ここにあったんだ。お昼はここにしようとのれんをくぐると前と変わらぬ光景が。白木のカウンターの中できびきび働く職人さん、カウンターに座って静かにその時を待つお客さん(ほとんどが男性サラリーマン風)。ここでは天ぷらを揚げる人食べる人みんなひたすらひたむきに天ぷらと向かい合っています。だからぺちゃくちゃおしゃべりはあまりできない雰囲気。でも美味しいものは四の五の言わずに美味しいんです!添えられたしじみの味噌汁、漬け物、ほうじ茶もベストマッチングで、天ぷら定食600円なり。いもや。またふと見つけて行きたいです。
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いくつになってもいい感じの人はいる
いい感じになることもある
瞬間ふわふわ 錯覚ときめく
それはエピソード
ストーリーにならないエピソード
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2月の最初に行った諏訪湖には御神渡りあり恋路あり、クールランディングあり温泉あり、諏訪湖豆あり塩羊羹あり、やわらぎの諏訪湖像その他いろいろエトセトラ、寒風は吹いていましたがそれもさらりとしていて、心が和らぎました。諏訪湖がいいなと思ったのは、湖全体が見渡せることです(これは私が安心感を得る重要ポイント)。湖の周りに道が続き町が栄え人々の暮らしがあって、それが窮屈じゃない自由な連帯感・循環感を醸しだしていました。宿をとった諏訪市側からは向こうの岡谷市・下諏訪の町のあかりが見えて、よし明日はあっち側へ渡っていこうと、気持ちが自然と前向き上向きになっていきました。諏訪の澄んだ水と空気が私を幾分精密化してくれたようです。
諏訪湖での予期せぬ出会いがハーモ美術館でした。何とグランマ・モーゼスの絵がここで見られるとは。パントル・ナイーフ(=素朴派)の画家の絵を主として収集展示する美術館で、ゆっくりくつろいで美を感じて味わうことができる空間です。カミーユ・ボンボワの『ピクニック』『池の中の帽子』のユーモアと繊細な素朴に特に心惹かれました。
近視眼な私がやっと気づいてきたことが、諏訪湖にはありました。
私は全体の中であなたが好き。全体の中であなたを見ていたい。
あなたの中の全体が好き。
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私の実質ネットデビューは2003年7月27日。HPを作ってアップロードしました。名前を記したトップページ1枚あればそれでいいと思って始めました。「ここは私の内と外をつなぐページです!」と書きました。Webという広大な宇宙の中に私という存在を記したかったからです。ただただ、私はここにいるよという旗をホームベースに立てたかったのです。その後2003年12月3日に、その中の1コンテンツであったchiiko通信をブログでも書くようになり、やがて本家のHPは終了し(何の予告もなく消しました。事後報告もせず。リンクいただいた方、済みませんでした)、そしてchiiko通信が今も続いています。その時々意味はわからなかったけれど、漠然と信じるものがありました。後から解けてくるだろうと。私が導かれたのも、導いたのも。
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